やっぱり人から愛されたい

2017年12月23日(日) 

 同志社クリスマス・キャンドル・ライト・サーヴィス 説教

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る




ライブ録画はありません。


 ヨハネの手紙(一)4章9節 (新共同訳)
 神は、独り子を世にお遣わしになりました。
 その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
 ここに神の愛がわたしたちの内に示されました。



▼クリスマスおめでとう

 みなさん。クリスマス、おめでとうございます。
 みなさんと今年も同志社クリスマスキャンドルライトサーヴィスにおいて、共に神さまに礼拝を捧げることができますことを、心から喜んでいます。

 今日与えられた聖書の箇所をもう一度お読みしましょう。
 「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためである。ここに神の愛がわたしたちに示されました。」
 今日は、神のたった1人の子どもが、この世に遣わされた日。神様の一番大事なプレゼントが人間に与えられた日です。

▼なぜ2000年前に1回だけ?

 私は子どもの頃から教会には通っていましたが、いつも疑問に思っていたことがありました。
 それは、イエス・キリストの誕生はなぜ、今からおよそ2000年前に、1回だけ起こったのかなという疑問です。
 例えば、イエスが神の子で罪深い人間の救いになったのなら、イエスが生まれる前の人間は、イエスのことを知らなかったのだから、救われなかったのでしょうか?
 あるいは、イエスが生きていた頃は、世界中のほとんどの人はイエスのことを知らなかったはずです。イエスを信じた人も最初はほんの少人数だったはずです。そして、イエスの良い知らせが世界に広まっていったのは、ずっと後のことです。
 日本に住んでいる人たちがイエスのことを知ったのは、イエスが亡くなってから1500年近く経ってからです。では、日本人がイエスのことを知り、信じて救われるまでの1500年間のタイムラグは、どうやって埋めたらいいんでしょうか?

▼「僕、知らんやん」

 このような疑問を、私は中学生の時、ある熱心なクリスチャンの先生に質問しました。
 「イエスのことを知る前は、イエスのことを信じることなんか誰もできなかったじゃないですか。その昔の人たちはどうやったら救われるんですか?」
 その先生は、「そんなん、僕知らんやん」と言いました。なかなか衝撃的な答だったので、はっきり記憶に残りました。
 その時、私はその答にちょっと腹が立ちましたが、今思えば、その「僕、知らんやん」は、「神さましかそんなことはわからないよ」という意味で言っていたのかもしれせん。関西弁というのは誤解を招きやすい言葉です。
 とにかく、やや荒っぽい形の答を聞いて、私は自分で自分の疑問を探求せざるをえなくなったので、私はクリスチャンとなり、神学部で勉強するようになったのかもしれません。
 そういう意味では、「僕、知らんやん」が、私への神さまの導きだったのかもしれません。

▼いつも愛されている

 さて、それで、今ではその問いに答が出ているかというと、実は今でも解決していません。
 今でも、イエスが生まれ、生きて、十字架にかかり、人々の救いになったのが、なぜあの2000年前だったのか、なぜそのタイミングだったのかということは、わかりません。
 ただ、ひょっとしたら、いつでもよかったんじゃないかなと、実は思っています。
 神さまが人間を大切に思っているのは、イエスが生まれる前も、イエスが亡くなった後も、キリスト教が伝わる前も、伝わった後も、変わっていないのではないかと思ったからなんですね。
 愛というものは、イエスがいなかったとしても、私たち人間のハートの中に埋め込まれたものです。生まれた時から人間が神さまから与えられているのが愛です。ですから、それを十分に働かせることで、私たちは十分に生きることができるんです。愛を十分に働かせて共に生きること。それ自体がもう救いに直接つながることなんだと、私は思うようになったんですね。そして、それはイエスを知らなかった人でも、ちゃんと人生経験で知ることができたはずなんです。

▼神さまの愛か人さまの愛か

 では、なぜわざわざ神さまはイエスを人間たちのもとに送ったんでしょうか。
 それは多分、私たちがあまりにわからず屋で勘違いが多いから、仕方なくヒントを与えたのではないでしょうか。
 例えば、「人間からの愛より、神さまからの愛の方が尊いから、私は人からの愛なんていらない、神さまからの愛だけでいいの」という人がいます。あるいは、たとえば、「人間の力ではどうすることもできません、神さまの助けを待ちましょう」と言って、お祈りだけはするけれども、自分は何もしようとしない、という人がいます。
 私は子どもの頃から教会には通っていましたが、「神さまの愛に比べたら、人からの愛なんて全然たいしたことはないんだ」という話を何度も聞いて、いつも疑問に思っていました。
 そういうことを言って、神さまからの直接の愛を待っている間に、目の前の人と愛し合うチャンスを失っているように見える人がたくさんいるように感じたからです。

▼やっぱり人から愛されたい

 でも、今はこのように思っています。
 神さまが人の姿になって、この世にやってきたというのは、やっぱり人間が人間を愛さないといけないんだということを教えるためではないでしょうか。
 人間イエスの姿をとって、愛そのものである神がやってきた。このことが示しているのは、「ほら、こうやって人を愛するんだよ」という実例を神さまがやって見せてくれたということではないでしょうか。
 
 今日お読みした聖書「ヨハネの手紙」の続きを読み進めて行きますと、8節先(17節)の方に「この世でわたしたちも、イエスのようであるからです」という言葉を見つけることができます。
 つまり、神からその独り子を送られている私たちは、イエスのように人を愛することができるはずだよ、と聖書の言葉は教えてくれています。
 神の子が人間として現れた。それは、「やっぱり人間は人間から愛された方がリアルでしょ? だから私が人間としてやってきたんだよ」という神さまの心遣いなんですよね。
 ですから私たちは、イエスが示してくださったお手本に従って、人間から人間へと、豊かに愛する人生を目指して歩いてみましょう。

 
Merry Christmas and A Happy New Year.





Clip to Evernote

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール