選ばれた人よ(ナザレ人マリア)

2017年12月24日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 クリスマス礼拝 説き明かし

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ライブ録画 聖書の朗読と説き明かし(14分間)+分かち合い(21分間)=計35分間


 ルカによる福音書1章26-29節 (新共同訳)
 六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
 天使は彼女のところに来て言った。
 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。



▼恐れるな

 みなさん、クリスマスおめでとうございます。
 イエス・キリストの誕生をお祝いするクリスマス礼拝を、こうして共にすることができますことを心から感謝しています。
 本日のお読みしました聖書の箇所は、イエスの母マリアが、天使ガブリエルから「あなたのお腹の中には男の子がいるのですよ」と告げられた、いわゆる「受胎告知」の場面です。
 ガブリエルは、まずマリアに「おめでとう、恵まれたお方」と唐突に声をかけます。マリアは何を言われているのかわからない。
 次にガブリエルは、「恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」と言います。しかし、この言葉を聞いても、マリアはやはり何のことかわからないので、考え込んでしまいます。
 そこでガブリエルは事の真相を明かします。
 「あなたは身籠って男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」と。

▼なぜそんなことが?

 イエスという名前は、もともとアラム語でしかもガリラヤ地方の訛りで「イェシュー」という呼ばれ方をしていました。標準のアラム語では「イェシュア」。そしてこの「イェシュア」は、私たちが旧約聖書の原語として知っているヘブライ語では「ヨシュア」と言います。これは、ユダヤ人の間では、割とありふれた名前です。預言者の中にもヨシュアという人がいましたね。
 意味は「主は救い」「ヤハウェは救い」という意味です。
 さてガブリエルは、そのイエスという子が、ダビデの王座を与えられ、永遠にイスラエル民族を治めるんだ」ということを言うのですね。つまりこれは、当時、ユダヤ人の間で待ち望まれていた「メシア」:ヘブライ語では「マシアハ」、意味は「油注がれた者」ですが、そういう人間になるのだということを予言しています。
 そこで、マリアはビックリするわけですね。
 「どうして、そのようなことがありえましょうか!」と。

▼なぜ私に?

 それでガブリエルは、「聖霊によって神さまの力があなたに降るのだ」とか「あなたの親類のエリサベトも年老いているのに、男の子を身ごもっているんだよ」とか「神にできないことは何もないのだ」といったことを自慢そうにとうとうと述べます。
 それに対して、マリアがどうしたとか、どう言ったということは、聖書には書いてありません。
 しかし私は、このガブリエルの言葉は、物事の片面にしか答えていないと思うんですね。
 確かにマリアは「私は男の人を知りませんのに」と言いましたから、これに対しての答にはなっているのですが、もう一つ大事な疑問があるはずだと思うんですね。でも、マリアが次の質問をする前に、天使は去って行ってしまいました。
 マリアは次に、「なぜ私なんですか?」と訊いてもおかしくなかったと思うんですね。
 神にできないことはない、それはわかった。しかし、なぜマリアが選ばれたんでしょうか? そのことについて聖書は明確には何も書いてありません。彼女が特に信仰深かったからでしょうか。彼女が人並みはずれて祈りや奉仕をする人だったからでしょうか。
 結論から言うと、私はそうではなかったんじゃないかと思うんですね。

▼ナザレのマリア

 マリアのプロフィールについてこの福音書を通じて私たちが知り得るのは、彼女はナザレの出身だということ。そして神殿の祭司の妻であるエリサベトという女性(この人もアロン家、つまりモーセの弟の家系という由緒あるところの人だったようですが)と親戚だったということ、そしてさらに、マリアはダビデ家の末裔のヨセフという男性と婚約中であったということくらいです。
 では、彼女は由緒正しい貴族の家系だから選ばれたのでしょうか?
 私は、そのようないわゆる高貴な家系の人が、ナザレに住んでいたということ自体がおかしいと思うのですね。
 ナザレというのは、本当に貧しいところでした。
 イエスの時代、いまから約2000年前は、人口たった数十人の小さな小さな集落があっただけで、しかも、非常に貧しいあまり、まともな家を建てる人もいない。皆自然の洞窟の中に入って、雨風をしのぐような、地下生活を送っていたというんですね。
 しかも、ヨハネによる福音書を見ればわかるんですが、イエスの出身地がナザレだということで、「ナザレから何か良いものが出るだろうか?」という差別発言を受けています。
 ユダヤ人の間で、卑しい場所とされているような貧しく小さな村の出身だというのと、マリアが高貴な家系の出身だというのは、どうもちぐはぐな感じがするんですね。しかし、イエス自身も「ナザレ人イエス」と広く人々に呼ばれていましたし、マリアもナザレの住人であったことは間違いないと思われます。
 貴族の家系に生まれたかどうかはともかく、彼女自身は、ナザレという被差別の集落で、洞窟に着の身着のままで住んでいたということは事実だった。
 もしかしたら、そういう状況に生きていたからこそ、神は彼女を選んだのかもしれません。

▼選ばれるわけ

 なぜマリアが特別な役割に選ばれたのか。それは、彼女が何も他の人に誇るものがなかったからではないかと私は思うのですがいかがでしょうか。
 誇るものがないどころか、むしろ彼女は地位も財産もなく、人から卑しいとされる地域の出身だった。人から「普通以下」と蔑まれるような生まれの人だった。きっとその中で、日々の糧を手に入れるだけでも必死の苦労をしていたし、もちろん教育など受ける機会もない。その代わりに、貧しき憂い、生きる悩みというものを味わい尽くしていた女性だったのではないかと思います。
 でも、そういう人こそ神は選ぶということに、神の選びの意外性、神の意図が私たちの予想を常に裏切るという面がよく表れているのではないでしょうか。

▼「はしため」

 この選びに対してマリアは「私は主のはしためです」と答えました。
 「はしため」というのは、「奴隷の女」という意味です。彼女は自分で自分のことを「身分の卑しい奴隷です」「普通の人間以下の女です」と言ったのですね。ここに、彼女が自分をどのように理解していたのかがよく表れているように私には感じられます。
 彼女は物心ついた時から、出稼ぎに行く周囲の街や村の人たちから、「卑しい村の子ども」としてなじられながら、奴隷労働をさせられてきた可能性があります。彼女はそれをもう内面化してしまって、自分で自分を「卑しい女」だと思い込んでいたのですね。
 加えて言うならば、当時の人々の一般的な観念によれば、そういう境遇に生まれ、育つということは、先祖か本人が罪を犯したからだと理由づけられるわけで、要するに神の罰を受けてナザレのようなところに住んでいるのだと言われても、誰も反論できなかったような社会です。
 しかし、神はそういう人間だからこそ、マリアを選んだ。というわけです。

▼意外な選び

 神の選びというものの一つの例が、ここによく表れています。
 神は、ユダヤの救い主をユダヤ人が毛嫌いするペルシアの占星術の学者たちにまず知らせたり、住む家も定まらず放浪生活をしているようなベドウィンの羊飼いたちにまず喜びの訪れを知らせたりします。
 また、パウロのような、キリスト者の迫害者を選んで、宣教者として採用したりします。
 パウロは自分の手紙の中で、「自分なんて、クズで塵芥(ちりあくた)のようなものだ」と言っています。また他のクリスチャンたちにも、「あなたがたが召された時のことを思い出してみよ。家柄が良かったり、能力的に優れている者が選ばれたわけではなかっただろう」と語ります。
 人間は「なぜ私なのですか?」「どうしてどんなことがありえましょうか? 私には何にも誇ることもない。むしろ他の人より劣っていたり、見下げられているような人間です」と言います。しかし、「そういうあなただから選ぶのだ」というのが神の御意志なんですね。
 神の選びというものは、「全く神の御用にふさわしくない」と人間界の論理では思われるような人に当てられるのです。

▼ただ喜んで

 ですから、皆さん。
 「自分は神のしもべとしてふさわしくない、むしろ逆だ」と自分で思っているような人に神は御用を与えるということが、マリアへのお告げによって明らかになりました。
 私たちはただ感謝して、誇るのではなく、ただ喜びつつ、神さまに与えられた人生とその運命を引き受けてゆくのであります。





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