人間の創造と宗教の起源

2018年1月21日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 主日礼拝 説き明かし

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る







ライブ録画 聖書の朗読と説き明かし(25分間)+分かち合い(48分間)=計73分間


 創世記2章1−5節 (新共同訳)
 天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
 これが天地創造の由来である。
 主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。



▼2つの創造物語

 おはようございます。今日は天地創造の物語から、人類と宗教の始まりに思いを巡らせ、今の私たちの信仰を見つめ直してみたいと思います。
 まず、本日の聖書の箇所は天地創造物語の一部分ですが、今日はわざと、第1の物語と第2の物語に境目の箇所をお読みいただきました。
 と言いますのは、天地創造物語というのは、一番最初の1章1節からこの2章4節前半までと、4節後半から2章の終わりまでの、2つの物語が連結されているんですね。
 その境目は2章4節の途中なんですが、そこがわかりやすくなるように、4節は途中で改行されているんですね。4節に「これが天地創造の由来である」と書いてあって、改行して、「主なる神が地と天を造られたとき、地上には野の木も、野の草も生えていなかった」と続きます。
 第1の物語では、すでに前のページの、1章の11−13節で、3日目に草も木も出来上がっていたはずなのに、また草木が無かったというところから始める。だから、「ああこれは最初の物語と別の物語だな」とわかるわけです。

▼安息日の発明

 2つの物語の特徴を細かく述べてゆく時間はないのですが、大まかに言って、第2の(2章4節後半以降)の物語の方が原始的な雰囲気を残しています。土をこねて人間を作り、その鼻に息を吹き入れて生きる者とし、男の肋骨から女を作り出したとか(これは「なぜ肋骨はお腹の半分しか隠していないのか」ということを説明する男のためのおとぎ話みたいなものですが)。そのような、神が手作りでコネコネ人間を造り出した様子が描かれています。
 これに対して第1の(1章1節以降)物語は、神が言葉で指図をするとその通りになったという風に、神が王様のような権威を持って命令するとみんながいうことを聞くというスタイルが特徴です。また、第1の日から第7の日といった具合に、1週間のカレンダーが決められています。これがおそらく最も古い「七曜制」(7日間で一回りという暦)の発明、また週に1回は休む日を決めるという「安息日」の発明だと言われているんですね。
 こういう特徴からして、第1の物語の方が、多くの人を政治的に支配するという意図が感じられるので、より文明が発展した後の時代に作られた物語だろうとされています。
 第2の古い方のお話は、おそらく原始時代から語り継がれて、いつ出来上がったかわかりませんが、第1の新しい方の物語は、バビロン捕囚から解放されたユダヤ人が国を再建する時、だいたい2500年前に文書に書かれたものだろうと考えられます。
 この物語からユダヤ人の7つの曜日が決定され、土曜日には仕事を休んで礼拝するという生活習慣が浸透し、それがキリスト教に受け継がれて、聖日が日曜日に変わったとはいうものの、ヨーロッパ経由で世界各地に広まり、日本でも今ではすっかり七曜制が当たり前だと思って受け入れているんですね。
 私はこのユダヤ人による「安息日」の発明というのは本当に素晴らしいものです。週に1度は完全に仕事をしてはならない。それは休養と神様のための日だ、と決めることによって、帰って平日の仕事の効率も上がり、規則正しい生活のリズムも生まれ、1週間を送るたびに、神がこの世を作ったということを心に留めることもできるというわけです。人々の生活をコントロールするために、そして労働者の作業効率を上げるために、さらには宗教的にも教えを浸透させるために、よく練られた物語なんですね。
 
▼ネアンデルタールの祖霊信仰

 と、そうなると、この天地創造物語は、この世が創造された様子を、そのまま記録したものではないのではないかという疑問が生まれます。
 自然科学の分野では、この宇宙はおよそ146億年前にビッグバンから生まれ、またこの地球はおよそ47億年前に誕生し、だいたい600万年前くらいから人類の祖先が誕生し、現在の我々に直接つながるホモ・サピエンスはおよそ20万年前には生まれていただろうとされています。
 私も、細かい年代は別として、流れとしてはだいたいそういう考え方でいいのだろうと思っています。ここはキリスト教の信徒の中でもずいぶん見解が相違するところで、世界は7日間で造られたと固く信じている人もいます。
 それでは宗教の起源はいつ頃でしょうか。この関連で、人類最古の宗教の痕跡は、イラクのシャニダール洞窟と呼ばれるところで発見された、ネアンデルタール人のお墓です。20万年から10万年ほど前の地層なのですが、そこにネアンデルタール人の遺体が折りたたまれて(屈葬ですね)埋められていて、胸のあたりに古代の花の化石が発見されたというのですね。
 つまり、少なくとも20から10万年前頃には、人類は埋葬というものを行っていて、死後の世界というものを考えることができていた、と。
 もっともネアンデルタール人というのは、3万年前には絶滅していて、私たちホモ・サピエンスの直接の祖先ではなく、むしろライバルだったんですけれども、このライバルがこの程度まで宗教心を表しているのだから、ほぼ同じ段階のホモ・サピエンスも似たような宗教儀礼を行っていてもおかしくないだろうという推測がされているわけです。
 そういうわけで、人類最初の宗教儀礼は、死者の葬り、葬いであったとされているわけですが、これを「祖霊信仰」と言います。

▼アニミズム
 
 それとほぼ同時か少し後に出てきたと推測されているのが、「アニミズム」という現象です。これはラテン語の「アニマ」(魂という意味で、生命のない動かないものに宿って、動くようにさせるもののことを指しているんですけれども)が語源で、「アニメーション」というのもここから来ているんですが、要するに、太陽や風や雲、雨や川や海などの水、木の枝や葉っぱの動き、それらが生き生きと動いているのはなぜか。それはアニマが宿っているからだと解釈するようになり、自然のすべての存在の背後に何らかの霊的なものが息づいているのだと信じるようになる。
 やがて、自然の恵みを確保したり、天変地異を避けようとするために、それらの霊をなだめたり、崇めたりするようになります。基本的に自然の力というのは、人間にとっては抗い難い恐ろしいものですから、その宗教儀礼は大げさで格式の高いものになってゆきます。
 日本の神道(神社の宗教)はこのアニミズムが割と原始的な形で残っている宗教だというのですね。特に細かい規則や戒律や教義があるわけではなく、メンバーシップがあるわけでもなく、ただ、アニマが宿っている御神体に敬意を捧げ、無心に祈りを捧げる、というものです。
 その一方で、日本には、のちの時代になってから仏教が入ってきますが、日本では仏教は儒教と結びついて、日本独自の祖先崇拝として形を整えてゆきます。そこで日本では、神道と日本独特の祖先崇拝の匂いが非常に強い仏教の2本立てになってゆくわけですね。

▼拝一神教

 これに対して、一神教というものを発明したのは、イスラエル民族だと言われています。
 中東から北部アフリカ、また小アジアのあたりは、エジプトやギリシア・ローマ・ペルシアでも、基本的にはアニミズムが元になって発展した多神教だったんですが、どうやら、イスラエルというのは、周辺の各地の奴隷階級や被差別者、貧困者が逃げてきて、カナンの地のあたりに自然に集まり、次第に部族連合を作っていった人々らしい。そして、12の部族が集まって、それぞれ逃げてきた国々の神々から見捨てられた人たちだったので、他の何物でもない、ただ「私はある」あるいは「私はいる」と主張する、何かの御神体などとは一切関係のない、唯一の神の元に結集しようとしたようなんですね。
 で、最初は他の神々があることを認めながらも、「私たちはこの唯一の神ヤハウェだけを信じるんだ」と言っていた段階。これを「拝一神教」と言っていますけれども、他の神々が存在することは認めながらも、それらは信じない。「私たちの戦いはヤハウェと他の神々との戦いなのだ」と言っていた段階です。

▼唯一神教

 この拝一神教が唯一神教に変化してゆくのが、やはりバビロン捕囚の時なのですね。
 バビロン捕囚というのは、要するにバビロニアという国に、イスラエル民族が徹底的に敗北を喫して、国土を完全に失ってしまい、強制連行されてしまったということです。ということは、これまでヤハウェの旗印を掲げて戦っていた神の民が負けた。これはすなわちヤハウェの負けではないのか。本当にこのままヤハウェを信じていていいのか。という疑念が生じ、この拝一神教は危機に陥るわけです。
 この疑念なり危機をユダヤ人たちはどうやって乗り越えたかというと、結局「私たちが悪かったんだ」という罪意識を持つことで解決したんですね。つまり、「私たちが不信仰で罪を犯し続けた。つまり神を裏切り続けたために、神が私たちを敵の手に渡したのだ」と。「敵を使って私たちを罰したのだ」と。ということは、敵をもコントロールする力がヤハウェにはある、ということで、この世には実はヤハウェしかいないのだ。唯一の神しか神は存在しないのだ、という風に教義が発展してゆくわけです。
 と同時に、唯一の神に対して、人間は罪深い存在である、という神学も発展しました。そしてその後、ユダヤ人は神に対する罪を贖うということを、自分たちの宗教:「ユダヤ教」の一大テーマとして抱えていくようになるわけです。
 
▼イエス

 さて、そういうわけで、人類はおそらく自然科学が示したようなやり方で発生してきたのでしょうし、唯一神教も、そしてその唯一神教の罪と贖いの教義も、中東のある小さな民族が発明したというのが私の考え方です。
 それでは、私は何を信じるべきだと思い、まだ実際信じているのでしょうか。
 私はイエスという人を信頼し、今もイエスの遺志は生きているということを信じています。
 イエスという人は、ユダヤ教の罪と贖いの教義が、一番悪い形で社会に根を生やしてしまっていた時代に生まれた人です。
 イエスが生まれたのは、「人間は生まれながらに神に逆らう罪深い存在である」という自尊感情のないネガティブな人間観を庶民に植え付け、貧しい生活や病気や障害も神の罰だと教え込み、自分たちだけが神に代わって人を罪に定めたり、またその罪を贖う儀式(動物を殺して、人間の身代わりにする儀式ですが)を行うことができるのだ、と言っている、そんな祭司階級が一般大衆を指導し、甘い汁を吸えるようになっていた世の中においてです。
 イエスにしてみれば、そのような、神の罰とか呪いとか怒りとか、そういうものを利用して人々を収めている祭司たちが、一番インチキに見えたんでしょうね。そして、「そうじゃないはずだ」と。
 「私たちは神に創られた。私たちは皆一人一人神に愛されている。たとえ祭司たちが罪だと言っても、神は私たちを赦してくださるはずだ。いや、私が神の赦しを宣言してやる!」。
 そうやって、イエスはあちこちで赦しと癒しをやり始めたわけですね。そりゃあ祭司階級から恨まれても当然です。またイエスも自分を止められなかったんですね。祭司たちの本拠地であるエルサレムの神殿へ殴り込みをかけたわけですが、あえなく逮捕されてしまった。そして、ローマ帝国の官憲に売られて、ローマ帝国の処刑法で処刑されました。

▼救済と解放

 イエスの行ったこと、語ったことは、現在の私たちの言葉で言えば、貧しい人、病気の人、障害のある人、寂しい人、虚しい人などなど、あらゆる形でこの世で生きづらさを抱えている人を救おうとするものでした。古代ユダヤ教の祭司たちは、そういった社会や人生の矛盾を全部「罪」といういわば自己責任論、それも個人の自己責任に押し込めて解決しようとしたわけです。
 これをひっくり返すのは本当に難しかったと思います。というのも、人間というのは、因果応報でものを考えがちですから、
 しかし、イエスはこれに反旗を翻しました。神は一人一人を赦している。神は一人一人を愛していると説き、そして実際にひもじい人に食事を振舞い、誰でもが歓迎されて受け容れられる交わりを催して、「神の国とはこういうところなんだ」と示そうとしたのですね。そのことによって、イエスと出会った人は、自分の本当の尊さ、人間らしさといったものに目覚め、解放されていったということなのですね。
 そして、この食事の交わりを中心とした、イエスの遺志をいつも現在のものとして記念するための礼拝をするグループが、キリスト教会の原型になっていったわけです。
 ですから私は、この食卓共同体の中にイエスが今も生きているということを信じて、クリスチャンを続けている、というわけであります。
 ずいぶんたくさんのことを、いっぺんに詰め込みすぎてごめんなさい。本日の説き明かしは以上とさせていただきます。





Clip to Evernote

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール