My Eyes Were Fulfilled With Many Tears

2018年1月23日(日) 

 学校法人同志社 創立者永眠記念祈祷会 奨励

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 詩編126章5-6編 (新共同訳)
 涙と共に種を蒔く人は
 喜びの歌と共に刈り入れる。
 種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
 束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。た。



▼はじめに


 皆さん、おはようございます。
 この朝、私たち同志社に集う同志ら共に、こうして新島襄先生の永眠を記念する祈祷会を神様に捧げることができます恵みを、心から感謝します。
 私たちは今、創立者:新島襄の遺した志を受け継ぎ、新たな同志社の歴史を刻んでゆくために、その志を共有するべく、ここに集っているのであります。
 願わくば、新島を導いた神の霊が、同じように私たちをも導き、励まし、支えてくださいますように、と願ってやみません。
 
▼笑うて風雪を侵す

 新島は亡くなる直前、1890年の1月、年が明けて間もない頃、『庭上の一寒梅』と呼ばれる漢詩を詠んでいるのは、皆さんもよくご存知の通りであります。
 
庭上一寒梅 (庭上の一寒梅)
 笑侵風雪開 (笑うて風雪を侵して開く)
 不争又不力 (争わず、また努めず)
 自占百花魁 (自ずから占む、百花の魁)

 「寒梅は風雪に負けず、まるで笑っているかのように花を咲かせる。しかも早咲きを争ったり、無理に力んだりしているわけでもない。そんなことをしなくても、おのずとあらゆる花の先駆けとなっている」と。
 この歌は、新島自らの生きる姿勢を語ると同時に、私たち同志社人の生き方の模範を示してもいると思います。

▼敢えて風雪を侵す

 この「庭上の一寒梅」が詠われる前、およそ2年前に、この歌の前身のような『寒梅の詩(うた)』という詩があるのをご存知でしょうか。
 それは教え子の深井英五(後に日本銀行の総裁にもなられた方ですが)この深井に贈った詩だと言われています。
 真理似寒梅 (真理は寒梅のごとし)
 敢侵風雪開 (敢えて風雪を侵して開く)

 これら2つの漢詩の共通点は、「風雪を侵して開く」という点ですが、1888年は「敢えて風雪を侵して開く」という、やや力みの込もった言葉遣いなのに対して、その2年後の1890年、死の直前には「笑うて風雪を侵して開く」といった具合に、肩から力の抜けたような、柔軟な構えを見せています。

▼涙を浮かべて笑う

 これはあくまで推測ではありますが、私はこの「笑うて風雪を開く」と唄う新島の目には涙が光っていたのではないかと思います。涙を浮かべながら、彼は「笑うて」と詠ったのではないでしょうか。
 この詩は同志社大学の設立運動、とは言っても、具体的にはそのほとんどが募金活動でありました。
大学を建てるためのお金を無心するために全国各地を頭を下げて回っていたさなかに、彼の心身の労苦はその限界を超え、体調を崩して神奈川県大磯の百足屋旅館に逗留せざるをえなくなったのが、1889年11月。そしてこの詩は、そのまま歳を越した時の作品です。
 思い立ったら妥協せずに突き進む、たとえ自らの命を捧げることになったとしても、その一事にかけるというタイプであった新島は、さぞかし己の病身を恨んだと思われます。
 また、大学の設立を自らの目で見届けることができないかもしれないという予感は、彼をどんなに悔やませたであろうかと想像するに余りあります。
 その悔し涙の先に、窓の外に雪を押し開いて可憐に咲く寒梅の花が目に入り、彼は思わず破顔一笑したのではないでしょうか。
 そして自ら2年前に詠んだ寒梅の詩を思い起こし、「敢えて風雪を侵す」のではない、「笑うて風雪を侵して」咲いてやろうではないかと改めて『庭上の一寒梅』の詩を詠んだのではないでしょうか。

▼涙徳の人

 新島襄は「涙徳の人」とも呼ばれております。
 同志社英学校創立の日、開業の祈祷会において、彼は涙を流しながら神に感謝の祈りを捧げました。
 また彼は、礼拝の説教の途中でも、感極まって自ら涙を流すことがよくあったと言います。
 そして、新島の涙について、私が特に印象深く思い浮かべるのは、若き新島が脱国の禁を犯してボストンにたどり着いた時、約2ヶ月間も港に停泊したままの船の中で迎えを待ち、やっと出会えたアルフィーアス・ハーディ氏が、自分の学費と生活費の面倒を見てくれるであろうと、聞かされた瞬間の涙であります。
 その時のことを、彼は『脱国の理由書』の終わりに近い部分で、「My eyes were fulfilled with many tears……」と記しています。
 これは少し風変わりな英語のように感じます。「私の目はたくさんの涙によって満タンになった」……。
 通常なら「My eyes were full of tears」あるいは「My eyes were filled with tears」というところでしょうか。しかし、生まれて初めて英語で書く手紙。不慣れであるがゆえになおさら、彼の万感の思い、熱い心が十分に伝わってきます。

▼神は見捨てない

 そして、この手紙は「God will not forsake me」という言葉で終わっています。「神は私を見捨てないだろう」。
 『脱国の理由書』を、ここまでずっと過去形で書いてきた新島は、この最後の一言で初めて未来形を使います。「神はこれからも私を見捨てないだろう」という喜びに満ちた信仰の告白であります。彼は泣きながら、笑っていたのです。
 苦しい時は泣いたっていいじゃないか。新島は涙を否定しませんでした。泣きたい時には泣き、笑いたい時には笑う。そんな感性豊かな新島の情熱を、私たちは今も受け継いでいます。
 私たちも、かつての新島のように、逆境にさいなまれ、困難な局面に対峙することが多々あります。時には肉体と精神の限界ではないかと泣きたくなる時もあるでしょう。
 苦しい時は泣いたっていいじゃないか。しかし、泣きながら私たちは寒梅のように笑って風雪を侵して花を咲かせようではないかと思うのであります。
 先ほどお読みいただいた聖書の言葉に「涙と共に種をまく人は、喜びの歌と共に刈り入れる」とあります。この言葉は真理です。必ずや将来笑いながら刈りとることを信じて、夢見て、私たちは今は泣きながら種をまくのであります。
 共に泣き、共に笑いながら、祈りつつ前進いたしましょう。

 祈ります。

▼祈り

 神様。
 今日、こうして私ども同志社の創立者:新島襄の墓前において、あなたに祈りを捧げ、共に心を合わせる礼拝を守ることができます恵みを心から感謝いたします。
 ここに集う私ども、あなたに一生涯を捧げ、同志社教育に全力を傾けた新島襄の魂を囲み、その遺志をしっかりと受け継いで、あなたと人とに喜ばれる教育・研究のわざに励むことができますように。
 逆境や試練に出会おうとも、泣きながらであっても、種をまき続けることができますように。そしてその種の実りを喜びをもって刈りとる未来をこの手にすることができますように。
 どうか私どもを支え、お導きください。
 イエス・キリストの名によって願います。アーメン。





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