ここは生き方研究所

2018年2月18日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 主日礼拝 説き明かし

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ライブ録画 聖書の朗読と説き明かし 19分間


 フィリピの信徒への手紙3章12-14節 (新共同訳)
 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。
 なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。



▼永遠の命

 私が最初にキリスト教や聖書、神様といったものに触れたのは、小学校4年生の時です。
 その頃、私は「死」というもの、「人間は必ずいつかは死ぬ」ということが恐ろしくて、そのことばかりを考えて悩んでいました。
 死ぬということは、脳が破壊されて一切の認識がなくなる。夢のない眠りがいつまでも続き、2度と目覚めることはない……そういうことを考えると叫びたくなるくらい恐怖を覚えて、夜も眠れない。そんな小学生でした。
 ある日、そんな私のことを知ってか、「聖書を読んで、神様を信じて、僕たちの集会に来たら、永遠の命がもらえるよ」と誘ってきた、Nくんという友達がいました。
 そして、Nくんの導きで、昼休みに物陰に隠れて聖書を読んだり、お祈りをしたり、小冊子を使って勉強したり、という毎日が始まりました。
 のちに関西学院中学部という中学校に入り、聖書科の先生から、「それは『エホバの証人』といって、本当のキリスト教じゃないんだよ」と教えてもらうまでは、私はNくんとのつながりから聖書を教えてもらっていました。
 ですから、私に初めて聖書や神様の存在を知らせてくれたのは、エホバの証人だったのです。

▼教会

 キリスト教学校に入って、エホバの証人が説く「永遠の命」は信憑性が薄いと知ると、私はしばらく宗教とは遠ざかっていました。
 再びキリスト教会に通い始めたのは、高校1年生の時です。たまたま仲良くなって遊んでいたクラスメートの何人かが、同じ教会の教会学校で遊んでいるというので、日曜日の朝から一緒に遊びたいと思った私は、彼らの教会に行く約束をしました。
 そちらの教会は、付属の幼稚園があり、幼稚園から教会学校への引き継ぎが非常にうまくいっているところで、幼稚園の卒園生の多くが教会学校に来るようになっていました。だから、子供と若者が多かったんですね。
 私は、多くの同級の他の学校の生徒や大学生の先輩たちと、楽しく教会での日曜日を過ごすようになりました。
 その教会で何が一番楽しかったかというと、思春期に考えたり、悩んだりしがちな人生の大きな問題を、みんなで共有したり、大学生のスタッフと話したり、そんなことができたのが楽しかったです。
 「死とは何だろうか?」、「愛って何だろうか?、「生きる意味とは何だろうか?」、「自分はどうやって生きて行けばいいんだろうか」、そして「神とは何だろうか?」など。
 そんなような、学校では恥ずかしくて話せないようなこと、しかし結構人生において根本的に重要なことを、教会では大真面目に議論することができました。そして何を言っても叱られず、受け止めてもらえる包容力が、その教会にはありました。
 いわば、「生き方研究所」みたいな雰囲気が漂っていたんですね。私はこの生き方の自由研究を毎週やっているような教会に、多分一生関わることになるんじゃないか、きっとこの生き方研究・生き方探求が嫌いになることはないだろうと感じ、高校1年生の後半、クリスマスに洗礼を受けました。

▼生き方研究

 そういうわけで、私は神の存在をはっきりと感じたからとか、しっかり信じられるようになったから、クリスチャンになったわけではなく、ただこの教会という場で行なわれている「生き方研究」のようなものとは、これからもずっと関わり続けるだろうと予感したから、このメンバーになりたいと思ったのですね。そして、洗礼を受けて以来、もう30数年経っていますが、その時の予感通り、相変わらずキリスト教の中にいて、クリスチャンを続けています。
 その間、クリスチャンなんかやめてしまおうと思ったことも何度かありました。例えば、離婚した時に、結婚式を挙げた教会の牧師から、「俺の司式した式で離婚しやがって!」とか「お前みたいな奴が赴任する教会の信徒がかわいそうじゃ!」といった恫喝の電話が夜討ち朝駆けかかってきた時とか。
 あるいは、自分が書いた本に、当時の日本キリスト教団のトップが「廃刊にしろ、絶版にしろ」と圧力をかけてきて、何人かの牧師たちが本を廃刊にする署名運動を始めたりした時とか。他にもいろいろありました。
 そういうことがあるたびに、キリスト教なんてロクでもない、牧師連中にもロクな奴がいない、もうクリスチャンなんかやめようかなぁなどと思ったりするのですが、それでも結局はやめずにクリスチャンを続けています。
 それはたぶん、やはり「生き方研究」をやめられない。「生き方研究」が好きだから。そして、それをできる場所が、自分にとってはキリスト教会だからなんですね。

▼発展途上人

 今日お読みした聖書の箇所で、パウロは「自分は既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけでもないし、まだまだ捕らえようとしている人間なのだ」(フィリピ3:12)と書いています。つまり、「自分もクリスチャンとしては発展途上人だ」と言っているんですね。
 彼はフィリピの教会にいる信徒たちに対して、新しい生き方について切々と宣べ伝えているわけですが、たとえ教える側の立場であっても完璧ということはあり得ない。自分自身も求道中だということをはっきりと述べています。
 そしてそれに続いて「神がお与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る」(フィリピ3:14)とパウロは言っていますが、これは当時行われていた古代のオリンピックのことを思い起こさせながら言っています。その方がギリシャ・ローマの文化になじんでいるフィリピの人々には分かりやすいだろうと思って書いているんですね。
 そして、これはどのクリスチャンにとっても言えることで、どこまで行ったらゴールだとか、どれだけ達成したら完成だというものでもないと思うんですね。生き方研究・生き方探求というものは一生続いてゆくものだと思うんです。
 よく洗礼を受けていない人を「求道者」という人がいますけれども、そんなことを言うと、まるで洗礼を受けた人が出来上がりみたいな風に聞こえますが、とんでもないです。洗礼はスタートラインに過ぎないのであって、それからが面白い。このキリスト教の広く深い世界に泳ぎ出して、人生の探求ができるんですね。
 逆に洗礼を受けたとしても、道を求める心を失ってしまったら、教会は死んでしまったも同然になってしまいます。

▼基督道

 別の言い方をすると、私は、キリスト教というのは、何らかの「道」(どう・みち)の一種であろうと思います。武道とか華道とか茶道とかいうものと似た、「基督道」とでも言いましょうか、「イエス道」「耶蘇道」とでも言いましょうか。
 始まって間も無い頃の1世紀のキリスト教も、最初は「キリスト教」とか「クリスチャン」という名前もなく、ただ自分たちのことを「この道の者」と呼んでいた時期がありましたが、今の私たちも、キリスト教でもって自分の人生を探求するこの自分のことを「この道の者」と呼んでもいいと思うんですね。
 洗礼というのは、「この道」によって自分の生き方の研究・探求としていきます、と宣言して入門するようなものです。洗礼によってガラリと人柄が変わったり、人格が改造されてしまったりということはありませんけれども、基督道の道場の門下生になったということは言えると思うんです。
 そして、何年も長く基督道をやっているうちに、もちろん個人差はあるけれども、だんだんと自分の人生の可能性、精神の成長の可能性が広がってきます。
 キリスト教というのは、曲がりなりにもおよそ2000年間の歴史を積み重ねてきたので、それなりに広さも深みも奥行きもある膨大なコンテンツが詰まっています。
 キリスト教による様々な生き方の知識や知恵、あるいは文化、芸術に至るまで、驚くほどたくさんのものがあるので、一生学んでも楽しんでも困らないほどです。
 そして、教会は基督道の道場のようなもので、この道場で私たちは、一体どう生きたらいいんだろうということを、キリスト教の知恵を参照しながら、ああだこうだと一緒に考えてゆくことができます。
 私自身は、おそらくこの先も、多分死ぬまで、基督道を通じて、自分の生き方の探求をし続けてゆくことだろうと思います。そして世の中の、まだ「この道」を知らない人たちに、少しずつでも「この道」のことを知ってもらえるように、拙い努力を続けて行きたいと思っています。
 皆さんと一緒にこの道を歩むことを、いつも私は楽しんでいます。
 お話はここまでです。あとは皆さんの思いをお聞かせいただければ嬉しいです。





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