愛がなければ

2018年4月17日(日) 

 同志社香里高等学校 ショート礼拝奨励

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ライブ録画 聖書の朗読とショートメッセージ 5分間


 コリントの信徒への手紙(一)12章31節後半-13章3節 (新共同訳)
 そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
 たとえ預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとして我が身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。



 
▼クリスチャン・スクール

 同志社はキリスト教主義の学校です。
 「キリスト教学校」とも言います。
 「キリスト教学校」は、英語で「Christian School」です。
 皆さんは、「ミッション・スクール」(Mission School)という言葉をひょっとしたら聞いたことがあるかも知れませんね。「ああ、同志社に入学しはったん? 同志社言うたらミッション・スクールやねえ」と言われたことがある人もおるんとちゃうかと思います。
 ところが、実は同志社は「ミッション・スクール」ではありません。「クリスチャン・スクール」なんです。一体、この2つの違いは何でしょうか……? 

▼ミッション・スクール

 「ミッション・スクール」の「ミッション」というのは「使命」という意味と「(キリスト教)の宣教」という意味があります。
 「使命」の方は知ってる人も多いと思うんですね。
 例えば「ミッション:インポッシブル」という映画がありますけど、あれは日本語に直すと、「使命。すなわち不可能な」という意味になるんですね。
 それに対して、もう1つの意味は「宣教」。つまり「キリスト教を伝えること、信者を増やすこと」という意味です。
 つまり「ミッション・スクール」というのは「キリスト教の信者を増やす学校」という意味になります。
 まあ今の日本では、明治時代に多くできた、元々外国人(多くはアメリカ)の宣教師がキリスト教を広めるために作った学校から始まったところを、「ミッション・スクール」と大体呼んでいます。
 これに対して、同志社は何が違うのかというと、まず創立者は日本人である新島襄です。彼は自由とキリスト教に憧れてアメリカに渡り、それを学び、日本に持ち帰って「クリスチャン・スクール」を作ったけれども、キリスト教の信者を増やすことは目的じゃなかった。
 じゃあ、新島襄の目的は何だったのか? そのヒントは今日の聖書の言葉にあります。

▼愛がなければ

 「山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」(13章2節)
 極論を言ってしまえば、「信者が増えることよりも、人を大切に思う心を持つことが大事だ」ということです。
 新島襄は別のところでもこんなことを言っています。
 「『キリスト教とは何か』と人から尋ねられたら、『愛をもってこれを貫く』と答えたい」と。
 ですから皆さん、同志社の人間として、「愛をもって貫く」人を目指して欲しいと思います。
 もちろん僕だって、この道において完璧な人間ではありません。でも、この最高の道を進みたいと努力をしている者です。
 一緒に成長しませんか? 一緒に良い同志社人になりましょう。





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