命をかけたコスモポリタン
(「日本人の寛容と不寛容」を改題)

2018年8月5日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 主日礼拝 説き明かし

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る







聖書の朗読&お話(約29分)


 ガラテヤの信徒への手紙3章28節 (新共同訳)
 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。




▼平和聖日

 今日は平和聖日です。
 平和という観点からも、キリスト教の伝道という観点からも、日本人とはどういう民族なのかということを考えつつ、今日のお話をしてみたいと思います。
 といいますのも、日本人が全体としてどういう傾向を持つ民族かということを、これまでのキリスト教会はきちんと研究してこなかったまま、日本へのキリスト教の土着は失敗したと言い切ってしまう人がいます。
 その一方で、日本が多神教の民族であるのが、日本が平和である由来だ。日本には宗教戦争が起こったことがない、と言って喜んでいる人もいます。 これもまた、日本人というものへの研究が足りないから言えるのではないかなと思います。
 日本ではキリスト教を信じたいとは思わないけれど、知りたいとは思っている人は多いとよく言われますが、本当に日本にはキリスト教は根付かないのか。また、日本は本当に多神教だから平和主義なのか、といったことを、日本人の宗教心を巡って考えてみたいのであります。

▼日本に宗教戦争は無かったか

 日本人の宗教心。一般に多神教であると言われています。そして多神教だから日本人は平和主義なんだと言われております。
 その場合、多神教と比べられるのは、キリスト教やイスラームなどの一神教です。キリスト教やイスラームは宗教戦争ばかりしてきていると。一神教が戦争好きなのは歴史が証明している。確かに、学校で 世界史などの授業を受けると、ヨーロッパのキリスト教は宗教戦争ばかりしています。
 それに対して、日本には宗教戦争というものがない。だから日本の宗教は皆平和主義なのです……といったことを外国人の前でプレゼンテーションしている日本のお坊さんのビデオも見たことがあります。
 ところが、果たして日本に宗教戦争がなかったかというと、ちょっと疑問なんですね。
 例えば、平安時代・鎌倉時代などは僧侶がお神輿を担いで、宮中に殴りこみをかける「強訴(ごうそ)」ということが行われていましたし、比叡山延暦寺や奈良の興福寺などには、かつて強い僧兵(つまりお坊さんの兵士)が控えておりました。延暦寺の天台宗は、内部分裂をして何度も同じ天台宗同士で戦争を行っています。
 一番よく知られているのは15世紀から16世紀にかけて何度も行われた「一向一揆」でしょうね。浄土真宗本願寺教団によって組織された権力に対する武装蜂起です。特に戦国時代の石山本願寺は、戦国大名と同じくらいの経済力・軍事力を持って、織田信長と激しく対立し、よく戦争していました。
 太平洋戦争だって、見方によれば宗教戦争ですよね。大日本帝国軍は、アジアのあちこちの国に進軍していきましたけど、占領した町や村ごとに鳥居を建てて、皇居の方角を拝ませるということを現地の人にさせましたし、それを拒否して自分たちの宗教を守るということは許しませんでした。
 ですから、日本と宗教戦争は縁がないのだ、と言ってしまいますと、これは嘘になります。日本に宗教戦争が全く無かったわけではありません。つまり、多神教の信者だから戦争はしないというわけではありません。

▼「習合」

 それでも日本は宗教には寛容だと言うのは、実は寛容なのではなくて、(これは内田樹さんという学者の受け売りになりますけれども……と言っても私が内田樹さんの全面的な支持者というわけでもないんですけど)、日本人には「習合」の宗教性が根付いているからと言うんですね。
 「習合」というのは「習う」という字に「合う」という字が加わって「しゅうごう」。つまり、たくさんの神々、たくさんの仏があるけれども、それらが互いに混じり合い、お互いに救い合い、支え合っている、という信じ方です。
 6世紀末から後には、日本人は神道と仏教をだんだんと同じものとして信仰するようになっていきます。これを「神仏習合」と言いますけれども、この複数の神々や仏を「習合」させるというのが、日本人の宗教心の特徴なんですね。
 それを頭の片隅に置きながら、現代の世の中を見てみると、日本人の多くの子どもは「神さま」という存在はいても当たり前と思うようになったみたいですね。
 昔だったら「お天道様が見てるよ」と言うようなところに「神さま」がとって変わっているような感じです。
 その神さまは、例えば石清水八幡宮とか伏見稲荷とかいった特定の場所に鎮座していて、特定の御利益をくださる神々ではなくて、特に名前のない、何でも叶えてくれるわけではないけれども、どこかで自分を見ていてくれて、全てをわかってくれていて、どんな嘆きの時も「あんたなんか本当はいないだろう!」という叫びさえも聞いてくれるような、静かな神さまです。
 この神さまという概念が、この20年くらいの間に、若者の間の会話にも浸透していて、Jポップも歌詞などの中にも「神さま」という言葉が飛び出す機会が増えてきているように感じます。
 日本でキリシタン禁制の高札が降ろされてから150年ほど経って、長いこと伝道が行われ、キリスト教学校での教育も行われてきたのですけれども、いまいちキリスト教会が人で賑わっているという様子ではないです。
 にもかかわらず、多くの日本人が、まるでキリスト教の信徒が普段時々生活の中で思い出すような神さまのイメージを思い起こすようになっている。
 こうなったには、私はやっぱり教会やキリスト教学校の努力の成果はあったのかな、と。
 でもその一方で、教会の出席人数は全国的には増えなかった。
 つまり、日本人はキリスト教の神さまの概念を、うまく「習合」させてなと。たくさんある日本の神々、仏、そして神さま、という具合に、キリスト教を否定することなく、一柱の神として受け入れたのだなと思います。
 だから、日本への伝道は半分成功して、半分以上失敗しているようが気がするわけです。

▼日本人は寛容か

 それはともかく、大日本帝国政府が敗戦によって解体されてからは、キリスト教は比較的のびのびと、弾圧も受けることなく伝道してくることができました。
 そしてそれから70年あまり、日本は表立った戦争を他の国とすることはないままなんとか今日を迎えています。
 ということは、やはり日本人はやはり寛容なのでしょうか? 戦争を好まない民族なのでしょうか?
 結論からいうと、私は実は日本人は少しも寛容ではないのではないかと感じています。
 なぜなら日本人は、習合できるものは、その本質を骨抜きにしてでも自分たちに都合の良いものだけは取り込もうとしますが、習合できないものに対しては、徹底的に排除しようともするからです。
 そして、宗教の形の上での習合よりももっと根の深いところに、物事を受け入れたり排除したりする基準が日本人にはちゃんとあるように思います。それは何か?

▼日本人と日本教

 昔、山本七平さんという方がおっしゃっていたのと同じ言葉になりますが「日本教」とでも言うべき、日本そのものへの愛着ですね。
 また、内村鑑三という明治のキリスト者が「2つのJ、すなわちジーザスとジャパン」への愛をどう両立するのかということを問題にしていますが、ジーザスを信じる思いと、ジャパンを尊びたい思いを両立させるのは、なかなか難しい問題なんですね。
 というのは、内村鑑三という人は、天皇直筆で署名された教育勅語に対して、最敬礼しなかったので、「不敬事件」だとして告発された人ですね。日本は愛してやまないけれども、その日本の上に神として君臨している天皇を拝むことはできないということを表明したことで、彼は日本中から叩かれました。
 まさに日本人というのは、「日本」そのものへの愛着が非常に激しいのですが、その日本を収める天皇という君主が、日本列島の創造の神の家系であるぞよ、と教育されると、あっという間に一神教の集団のような姿を表す。あるいはそのために命も財産を捨ててても着いて行こうとするわけですから、一種のカルト集団あるいはファシズムですね。そんな風に簡単になってしまう。
 「日本」というキーワード、あるいは「絆」「みんな同じ」「一つになろう」といった合言葉で、簡単に一致団結し、逆に自分たちと「同質化」しないものは徹底的に痛めつける。そういう面が日本人にはあります。
 ですから日本で生まれたり滞在している外国人が日本で生活上の困難を抱えていたりすると、「帰化したらいいのに」と割と簡単に言いますよね。「同じになればいいのに」と。
 また反対に、ちょっと日本の政治や社会を批判すると、「日本が嫌なら出て行け」というようなことを平気で言ったりもする。その発言がどれくらい重いものであるかを深く考えずに、パッと言えてしまうのが日本人なんですね。
 こういった「日本的なるものへの愛着」あるいは「天皇を敬う心」を観察している方と、この「日本」への忠誠は、実は一神教のように日本人の心を支配しているのではないかと感じます。
 しかも日本人は、こういう心の動きをほとんど無意識的にやります。自分たちがやっていることがいかに宗教的であるかということには、全く意識していません。無頓着なんですね。
 ですから、日本人は「自分では寛容だと思っているけれども、外から見るととんでもなく排他的な人びと」ということになるのではないかと思います。

▼ディアスポラ

 さて、長々と日本教の存在に至るまで、日本人の不寛容性について述べて来ました。このあたりで聖書のお話に戻りたいと思います。
 今日お読みしたパウロの言葉は、以前にも別のお話で引用したところですが、今日は特に「ユダヤ人もギリシア人もない」という言葉に注目してみたいと思います。
 パウロがここでこのような言葉を発する背景として、彼自身の人生における人種・民族の問題を思い起こしてみたいと思います。
 彼はキリキア州のタルソスという町の出身で、現在のトルコ中南部、海沿いの地方から出て来たユダヤ人です。トルコということは若干ローマから離れているわけですが、ローマの市民権を持っていますので、経済的にも地位的にも恵まれた家庭の出身であったのだろうと推測されます。
 また、ユダヤ人であったとしても、異邦人と一緒に仕事をしたり、金銭のやり取りをすることもあったでしょうから、異邦人に対する抵抗心もさほどなく、普段から当時の国際語であるギリシア語を話していたものと思われます。
 このような、本国のエルサレム周辺に住んでいる生粋のユダヤ人と違って、異邦人、すなわち異民族の土地で異民族と共に生活をしているユダヤ人のことを、「ディアスポラ」と呼びます。
 そんなディアスポラ出身のパウロは、若い頃に律法学者になる勉強のためにエルサレムに留学しています。これは、たとえばアメリカに生まれ育った日系人が、日本に留学するような感じではないかと思います。
 一応、当時、世界のどこに行ってもおおかた通じる(今でいえば英語のような)言葉が話せて、異民族との精神的な壁がそれほど高くなかったパウロは、ユダヤ教の本山に行って、ある種のカルチャーショックを受けたと思います。
 と言いますのも、エルサレム近辺のユダヤ人は、ディアスポラのユダヤ人に比べて、民族意識が硬く、異民族との境界線をはっきり引いて、「異民族は汚れている、触れたくも近づきたくもない」という人たちだらけだったんですね。
 特にこの時代のエルサレムは、ローマ帝国の支配を受けていて、軍隊が駐留していたので、軍人による一般人への暴行も日常茶飯事でしたし、一般人からのローマに対する反感も最高潮に達している頃でした。
 そんなエルサレムの空気の中で、パウロは最初は、自分の感覚と随分違ったので、きっと面食らったと思います。その上、自分は普段から異民族と付き合って来たし、ローマの市民権まで持っているということで、周りのユダヤ人たちの中で、「親ローマ派だ」と思われ、いじめられてもおかしくなかったでしょう。
 そんな環境に放り込まれたものですから、彼が自分を守るには、他の誰よりも律法に詳しくなり、律法を固く守り、誰にも負けないほど熱心なユダヤ教徒になろうとすることしかなかったのですね。
 そしてその結果として、イエスを信じ、その教えに従って生きようとする人びとを他の誰よりも熱心に迫害し、そうすることで自分が誰よりも熱心なユダヤ教徒、すなわちユダヤ人であることを証明しようとしたのではないでしょうか。

▼命をかけたコスモポリタン

 そうして、パウロはイエスを信じる人びとの間でも有名な迫害者となったわけですが、そんな彼が改宗してイエスを信じる人の群れに加わるようになった。そして、やがて自ら使徒と名乗って人びとを教え始めたのですから、もちろんイエス派の人たちが怖がって最初はなかなか相手にしなかったのですが、驚いたのはイエスの信者たちだけではなくて、自分たちの熱心な仲間だと思っていたユダヤ人たち。彼らも相当驚いたと思います。そして。裏切り者としてパウロの命を狙うようになるのも時間の問題でした。
 また、単純にイエスのフォロワーとユダヤ人の間の対立にはさまれただけではなく、キリスト教の内部抗争にもパウロは巻き込まれてゆきます。
 キリスト教の内部抗争とは、キリスト教にもユダヤ的な慣習(男性には割礼を施さなくてはならないとか、食べていいものと食べてはならないものがあるという食物規定とか)を守る派と、異邦人と同じように、割礼もせず、また食事も何でも食べていいじゃないかという自由派に分かれてしまったんですね。
 で、パウロはユダヤ人であることの誇りを捨てて、イエスへの信仰に目覚めただけでなく、もともと自分が生まれ育った国際派といいますかコスモポリタン的なといいますか、グローバルな感覚に戻っています。
 それで、ユダヤ人の風習なんかどうでもいいじゃないか、と言い切ってしまうんですね。
 そういう文脈の中での、パウロの言葉「ギリシア人もユダヤ人もない」なんですね。
 ユダヤ人というのは「=ユダヤ教徒」です。「ユダヤ教徒=ユダヤ人」です。それは宗教思想というより、もはや民族としての在り方そのものです。そういう意味においては非常に日本人とも似ています。「日本人=日本教徒」と言ってもいいほどのまとまりようだからです。
 そのような世界で、パウロは「ギリシア人もユダヤ人もない」と言ったのですから、それは相当に勇気が必要だったことだと思います。
  同じように私たちが、ちょっと街頭の人前で、あるいはネットで、「朝鮮人も日本人もない」「朝鮮人も日本人も同じ人間だ」と発言したり、書き込んだりしたら、どうなるでしょうか。
 必ずあらゆるヘイトスピーチ、罵詈雑言が浴びせられ、吊るしものにされ、フォロワーは激減し、あまりに炎上するので、TwitterやFacebookは閉鎖せざるを得ない、なんてこともありえます。
 ですから、逆に言うと、パウロという人は、自分がどんなに罵詈雑言を受けることになろうとも、覚悟と確信を持って、「ギリシア人もユダヤ人もない」と断言したのですね。
 願わくば私たちも、この世の中で、「朝鮮人も日本人もない」、「女も男もない」、「LGBTもストレートもない」、「生徒も先生もない」といったことを、勇気を持って主張して行ければいいのになと思います。
 なぜならそれが、紆余曲折の末にイエスに出会った結果、選び取ったパウロの本心からの生き方の教えだからです。
 説き明かしを終わります。





Clip to Evernote

礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール