すべての人のための聖餐


2019年10月20日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 世界聖餐日礼拝 説き明かし

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聖書の朗読&お話(約30分)



 マルコによる福音書14章22-26節 
(新共同訳:旧約)
 一同が食事をしている時、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。
 「取りなさい。これはわたしの体である。」
 また杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らはその杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。
 「これは多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったことを飲むことはもう決してあるまい。」
 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。



▼世界聖餐日

 今日は「世界聖餐日」(ワールド・コミュニオン・デイ)の礼拝として位置付けて礼拝を行っています。と言っても、本来の世界聖餐日は毎年10月の第1日曜日なのですが、私たちの教会では第3日曜日に聖餐式を行っている関係で、第3日曜日に変更してこの日を記念しようということになりました。
 もともと世界聖餐日というのは、第2次世界大戦が終わった直後、この戦争を反省して、当時の世界基督教連合会:現在の世界キリスト教協議会(WCC)の前身ですが、ここが「世界中のキリスト教会が聖餐によってキリストによって結び合わされていることを確認し、全世界の教会が一致して平和を作っていこう」と呼びかけたことから始まった、比較的歴史的には新しい暦です。
 けれども、日本基督教団にとってはどうかというと、日本基督教団自体が歴史の浅い教団ですので、創立したのが第二次世界大戦前の1941年で、戦争が終わったのが1945年。そして世界基督教連合会の「世界聖餐日」の呼びかけがその翌年の1946年ですから、結構教団の歴史の早い時期からこの世界聖餐日を祝う呼びかけを受けていたと言えます。
 日本基督教団は戦時体制に向かっていく中で大日本帝國による圧力に応じて成立したという面があるので、そうやって成立事情をかかえて、およそ4年間の戦争に協力し、敗戦の直後に今度は世界平和のために聖餐の一致を確認しようというのは、ずいぶん激しい動きの中で揉まれた状態というか、混乱の時期だったのではないかなと想像します。
 この時期は、ただ外部の社会情勢によって振り回されていたというだけではなく、多くの旧教派:もとの教派ですね、バプテストとかルーテルとかホーリネスとか、そういった物凄いたくさんの種類の教派の方々がそれぞれの独立自主を求めて出て行かれましたし、また教団に残った側の人たちにおいても、沖縄教区の名前を抹消するということが起こっていた、そんな過ちと激動の時期でした。

▼陪餐会員

 聖餐という事柄に関して言えば、日本基督教団の「教憲・教規」つまり教団の規則のことを思い出します。私たちは、礼拝に集っている方々は、どなたでも聖餐に招かれていると考えて、フルオープン・コミュニオンを行っていますが、これに対しては教団の中でも賛否両論があります。
 私たちの教会で、毎年献金によって支援している「北村慈郎牧師を支える会」の発端となった、北村慈郎牧師の戒規処分、つまりフルオープン聖餐を行なっていることによって、教団の聖餐の秩序を乱しているという理由で牧師職を免職するという処分にも、私たちは反対する立場をとっています。
 聖餐に関連する規則の項目は、日本基督教団の「教規」の第6章「信徒」という章にあり、第134条から136条あたりに書いてあります。この教規という規則は、第二次世界大戦に敗戦した翌年の1946年、世界聖餐日の呼びかけが行われた年に見直しがされて以来、現在まで使い続けてきたものです。
 その教規の中では「陪餐会員」という言葉が使われています。「陪餐会員」というのは、要するに「食事に参加する会員」ということですね。そしてこの食事というのは、間違いなく「主の晩餐」つまり「聖餐」のことを指しています。

▼未陪餐会員

 教規134条にはこんな風に書いてあります。「信徒とは教会の名簿に載っている人である」と。そして続く135条で、「名簿は陪餐会員と未陪餐会員に分ける」と書いてあります。ただし、「未陪餐会員のない教会はこの限りではない」とも書いてあります。
 「未陪餐会員」の「未」というのは、「まだ」という意味ですから、「まだ食事に参加しない、あるいはできない会員」という意味ですね。ということはおそらくこの言葉は幼児洗礼を受けただけの人は、聖餐には与ることは想定されていません。そしてその人が、やがて大きくなって自分で信仰告白をして、堅信礼(堅く信じることを約束する儀式)というのを経た人が聖餐に与ることができる、という期待が念頭にあるということでしょうね。
 まあそれで、この第135条の文言ですけれども、後半に「未陪餐会員のない教会はこの限りではない」とあります。つまり名簿上分けなくてもいい。妙な規則ですよね。まず名簿を分けろと言っておいて、いない場合は分けなくて良いと言っているんですね。
 なぜこんな奇妙な文言の規則があるのかというと、これは日本基督教団というのは様々な教義や儀式の持ち方をしている各教派が、半強制的に合同させられた寄せ集め集団なので、妥協策としてこういう規則になっているという1つの例なのですね。
 というのは、どういうことなのかというと、おそらく元のバプテスト系の教派だと思いますが、そもそも幼児洗礼というものが無い教派があるんですね。信仰告白して受ける洗礼でないと意味がないという考え方です。ですから、未陪餐会員という存在もありません。
 
▼名簿に載っていない人

 それから、この教規によれば、「信徒というのは会員名簿に登録された人で、陪餐会員と未陪餐会員の2種類に分ける(ただし幼児洗礼というものが無い教派の教会は関係ない)」ということになっていますが、「名簿に載っていない人」つまり「信徒ではない人」については、規定がありません。
 136条には、「陪餐会員(つまり信徒)というのは、信仰を告白してバプテスマと領した者」ですよという規定はありますけれども、バプテスマを受けた人だけが聖餐に与るという規則は無いんですね。
 あとは関連する項目を探すと、さかのぼって102条に「役員会の処理すべき事項」が挙げられておりまして、その1番目に「礼拝および聖礼典の執行に関する事項」とあります。これしかありません。
 つまり、バプテスマを受けていない人に聖餐に与っていただくかは、各教会の役員会の判断ですよということです。
 もちろんこれは、抜け道的な規則の解釈であることは承知しています。規則に無いという規則の欠陥を逆手に取っているわけです。
 しかし、逆になぜこのような抜けのある規則になっているのかというと、それはもちろん1941年代の戦時体制の中で合同させられた教団の急ごしらえの妥協案のような規則であるということも言えるのではないかと思いますが、それに加えて、日本の当時のクリスチャンの発想が、「子どもを産んで、幼児洗礼を授けて、やがてその子が信仰告白をしてくれて、堅信礼を授けられて、陪餐会員になって、また子どもを作って……」というサイクルで教会が成長してゆくことしか考えずに作られた、非常に内向きの発想だった。そういう内向きの発想による願望を投影した規則だったということにも原因があるのではないかと私は感じています。
 その結果、日本の人々はそういう欧米式の育ち方はしないよとか、どちらかというと人生の後半になってから教会の扉を叩く人の方が多いんだよとか、あるいは心の中に信仰を持っているけれども家庭の事情などでバプテスマを受けることはできない人もたくさんいてねとか、その他様々な日本的な状況の多くの人たちに対応することができないということになっているのではないかと思うわけですね。

▼誰でも招かれる食事

 さて、この欧米直輸入の発想による、内向きで不完全な規則についてはそろそろこのへんで置いておいて、それでは私たちがなぜ聖餐をフルオープン形式にするのかを考えてみたいと思います。
 それは端的に言って、イエスが生前あちこちで行った食事会では、どんな人も招かれ、イエスと一緒に食事をしていたからです。どんな人もというより、あえて自分たちの宗教の基準では汚れているとされていた人、罪人、またイエスとは敵対するような人びととも食事を共にしました。その食事によってイエスは、社会からはじき出されて日々の食事もままならない人を助けましたし、敵だと思っている人を敵ではなくして味方にしてしまったり、大人の男性と一緒に食事の席についてはならないと差別されていた女性や子どもたちを食事の交わりに招いたりということをしていました。
 その食事があまりに当時の人びとの慣習や常識を破った、今風に言うと「ボーダーレス」な交わりで、しかもイエスは「神の国というのは、こういう宴会のことなのさ」と教えたので、みんなそれまでの人と人の間を「罪だ」「汚れだ」と線を引いて分断したり、排除したりするのではなく、神さまは誰でも愛して受け入れてくださるという新しいイエスの教えに、新しい時代の到来を感じたのですよね。

▼「あなたがたのため」か

 ところが、イエスの死後、キリスト教会が立ち上がってくる過程で、イエスの思い出、イエスの言葉、イエスの行動をいつまでも記憶に留めるために、毎週の礼拝の中で「主の晩餐」という儀式が行われるようになってゆきました。
 おそらく最初はエルサレムの12弟子の教会から、この主の晩餐の儀式をやろうと提唱されるようになったのではないかと私は思っています。
 なぜなら、この儀式はイエスと12人の男性の弟子たちがイエスの最期の夜の晩ご飯を食べて、そこからこの主の晩餐が始まったのだという伝承だからです。意地悪い見方かもしれませんが、この12人が「あなたがたのための食事だ、と主がおっしゃったのだ」と主張しているのは、結局自分たち12人が元祖イエスの弟子で、教会としては本家なのだと自己主張するための根拠づけに過ぎないと見ることができるからです。
 そして、新約聖書の中の最も古い部分を書いたパウロは、このエルサレムからの言い伝えをそのまま引用して、自分のコリントの信徒への手紙の中に、「これは『あなたがたのために』裂かれる私の体、これは『あなたがたのために』流される私の血」という言葉で主の晩餐の制定の言葉を書き込んでいます。

▼「すべての人のため」か

 ところが、新約聖書の中にはもう1ヶ所、主の晩餐の制定について書かれている箇所があって、それがこのマルコによる福音書14章22〜26節です。
 ここでは「あなたがたのため」という風に相手を限定した言い方ではなく、「多くの人のため」という風に相手を限定しない言葉をイエスが語ったように描かれています。そしてこの「多くの人」というのは、「すべての人」とか「各自に」と訳した方が適切な言葉でもあるんですね。
 マルコというのは、パウロと途中まで同じ行動をとっていたいましたが、やがて考え方の違いからパウロとは離れた人と使徒言行録(使徒行伝)には伝えられています。また、マルコの福音書には、ことあるごとにエルサレムの12弟子の教会に対する批判的な思いが表れているとも言われています。
 そのような、パウロにも12弟子にも批判的な立場のマルコが、エルサレムが伝えている主の晩餐の伝承に対して、「これはすべての人のために裂かれる体であり、すべての人のために流される血である」と書き換えたのは、これもエルサレムの12弟子に対する批判、すなわち、「12人の男性の弟子だけが主イエスに選ばれたわけではなく、また信仰を告白した限られたメンバーだけのために主イエスが血を流されたわけではなく、多くの人、全ての人のために主イエスは死なれたのだ」というアンチテーゼを叩きつけていると考えられるのですね。
 さらには、これは以前8月にある方の礼拝での説き明かしを読ませていただいて気づかされたことでもあるのですけれども、マルコ版の主の晩餐では、イエスは「神の国で新たに飲むその日までは、ぶどうの実から作ったものを飲むことは、もう決して無いだろう」と言っているんですね。これは、はっきり言ってしまえば、マルコはイエスの死後まもなくからぶどう酒の儀式をやっているエルサレム教会の、その聖餐式自体を否定しているとも取れる記事です。
 「イエスは生前、どんな人でも招かれる宴会を神の国だとおっしゃっていた。それなのに、あなたがたは閉じたグループのメンバーだけで、しかも自分たちの権威づけのための儀式にしてしまっている。そんな儀式の場にはイエスはいないぞ!」とマルコは真っ向から信徒中心・12弟子本位の聖餐式に異議を唱えていると思われるわけです。

▼マルコの想い

 それでは現在の私たちは、どのように聖餐式を行ってゆけばいいのでしょうか。
 パウロの伝えようとしたクローズな聖餐式の制定の言葉は、先ほども申しましたように、12弟子たちにとって都合のいい伝承を、そのまま無批判に受け継いでいると考えられます。
 しかし、パウロや12弟子たちと袂を分かったマルコは、初めてイエスの生涯を断片的な伝承ではなくて、ひとつづきの物語として描こうとした人です。その執筆の動機自体に「この世に生きたイエスの生涯を思い出せ」という呼びかけが感じられます。
 イエスの食事という観点から見ると、この主の晩餐の出来事において「多くの人、全ての人のために裂かれるパン、各自に与えられる杯」という言葉で、マルコは例えば「5000人の食事」の奇跡物語に描かれているような、そこにいる人たち全ての人に食べ物を与えようとしたイエスのことを思い出すようにと促しているのですね。
 ですから、そのようなマルコの想いに沿って聖書を読むならば、誰にでも開かれたオープンな聖餐を行う方が、イエスの遺志に適うと言うことができるでしょう。
 そして、マルコが12弟子の教会のクローズな聖餐式を批判しているのは明らかですが、それを聖餐式そのものの否定とまで読み取るべきなのかどうかは、私は微妙だと思います。マルコはやはり批判はしつつも、「多くの人、全ての人に与えられるイエスの体と血」の食事を行うこと自体は肯定していたのだと思います。
 というのも、実はこのマルコの「主の晩餐」の記事ですが、この14章の22から26節の部分だけ、マルコが後からねじ込んだ記事では無いかとも言われているからなんですね。実際、この「主の晩餐」の記事をすっ飛ばしてその前と後を繋いで読んだ方が、物語の流れとしてはスムーズなんですね。
 そこまでしてあえて主の晩餐の記事を入れたかったのは、実はマルコも主の晩餐が教会に無くてはならない儀式であったということを認識していたからでしょう。

▼それがイエスのやり方だったから

 また、歴史的に見れば、聖餐式というのは最初の頃は、エクレシアの集いの中でみんなで食べる夕ご飯そのものだったと伝えられています。集まった人たちで礼拝を捧げる、その礼拝の中に食事も含まれていて、その食事の中で「これは主の体」と言い、またワインを掲げて「これは主の血」と言って祈りを捧げた。その食事の全体が「主の晩餐」です。やがてそれが、いつの頃からか、聖餐式と愛餐会という風に分かれてゆきましたが、元々はひとつだったわけです。
 エクレシアにとって、週に1度一緒に晩ご飯を食べるのが習わしだったのに、最初は12弟子だけのクローズな食事に由来したというのは考えにくいことではないでしょうか。あるいは、もし最初は12弟子だけのクローズな晩餐から始まった儀式だったとしても、それなら尚更のこと、それ以外のエクレシアの人びと全員で食べるように切り替えたということに意義があるのではないでしょうか。
 その根底・根拠には何があるのか。それはイエスが生前、誰でも招いてよく食事をしていた、ということに他なりません。できるだけ多くの人と食べ物を分け合おう。分け隔てのないように。それがイエスのやり方だったから、イエスに倣うのであれば、12弟子だけでなく、仲良しだけでなく、また敵にもなりうるような人とでも、食べ物・飲み物は分け合おう。それがイエスのやり方だったから、主の晩餐も分け隔てなく、そこにいる全員で分け合おうじゃないか。それが聖餐の元来の精神だったのではないかと思うのです。

▼式文への反映

 ですから、私たちがフルオープン聖餐を実施していることは何ら恥ずかしいことではなく、後ろめたいこともなく、むしろこちらの方が元来の精神に適っている、むしろこちらの方がイエスらしいやり方に近いのだということに自信を持って良いと思います。
 そこで、今日の聖餐式から、聖餐式の式文に使われる聖書の箇所の引用を、今までのようにパウロによるコリントの信徒への手紙における「主の晩餐」の制定の言葉ではなく、マルコによる福音書における「主の晩餐」の言葉に入れ替えようと思っています。
 それに伴い、式文の言葉も一部、「あなた方のための」という言葉を「多くの人のための」に改訂することになります。それが本来の私たちの聖餐のあり方の根拠となっている聖書の箇所だからです。
 これからも、開かれた聖餐、開かれた礼拝、そして開かれた教会を目指して、歩んで参りたいと思いましょう。
 そしてまた、いつかみんなでここで、晩ご飯を食べる時に、聖餐を含んだ晩餐会という形をやってもいいかも知れませんね。夜しか来られない人もいるかも知れませんから。その時は、ぶどうジュースではなく、本物のワインを使うことになるかなとか、ちょっとそんなことも思いました……皆さんはいかがお感じになりますでしょうか。
 本日の説き明かしは以上と致します。





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