新しい為政者はどこにおられますか?


2019年12月22日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 クリスマス礼拝 説き明かし

礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る
「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る
教会の案内図に戻る




 マタイによる福音書2章1-12節 
(新共同訳)
 



▼ここに集い得ない人を想う

 皆さん、クリスマスおめでとうございます。イエス様がこの世に誕生され、私たち人間と生涯を共にされたことを感謝し、祝うクリスマスをこうして皆さんと一緒にお迎えできることを、心から感謝しています。
 この1年もいろいろなことがありました。教会としても個人としても、たくさんの喜びもあれば試練もありましたけれども、なんとかこうして年の瀬を迎えることができますことには、何とも言えぬ達成感もないではありません。皆様も本当にこの1年(まだ終わってませんけれども)お疲れさまでしたと申し上げたい気分です。
 さて、クリスマスが来ると、ウキウキする気持ちが盛り上がる人もいれば、そのようなウキウキしたムードの輪から自分がはみ出していることをいよいよ意識させられて、かえって疎外感が増してしまい、悩んでいる人もいます。
 イエスが生まれたとされているのは、泊まる宿屋の部屋も無い夜に、家畜たちと一緒に過ごすような場所でと伝えられています。伝承によれば、宿屋の裏の家畜小屋だったとか、洞窟の中であったとか、いろいろな説がありますし、家畜というのは乗り物であり、現代の世の中にたとえれば駐車場で赤ん坊を産むようなものだという人もいます。
 いずれにしても、イエスの誕生は世の中で最も貧しく、最も世の中からも人間関係からも取りこぼされているような境遇の中で生まれたのだと伝えられています。そのイエスの誕生を想う時、クリスマスを祝うことによって、疎外感を覚えてしまうような人が出てきてしまうということが、キリスト教会にとっては嘆かわしいことなのかなと思ってしまったりします。
 経済的に貧困に陥っている人だけでなく、人間関係的に孤立してしまう人もいるなかで、世の中のすべての人とクリスマスの喜びを分かち合うというのは本当に難しいことだと思います。けれども、これはクリスマスに限ったことではありません、普段の教会の集いでもそうなのですが、いつも「ここにはいない人」、「ここに集い得ない人」のことを想うことのできる教会でありたいし、そのような世の中になっているのが、この社会の風潮や政治のせいだとするならば、それに対していつも問題意識を持って関わりを持ってゆきたいと思うのですが、皆さんはいかがお考えになりますでしょうか。

▼新しい王はどこにいますか?

 さて、今日お読みした聖書の個所は、マタイによる福音書の方の降誕物語です。東の方から……というのは恐らくペルシア、今のイラクのあたり、かつてのチグリス・ユーフラテス文明のあたりですね。そこから占星術の学者たちがエルサレムにやってきて、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか?」と聞いたというお話です。そして、これを聞いて、当時ユダヤ地方を治めていたヘロデ大王は不安を抱いたと書いてあります。また、エルサレムの人々も同じように不安を抱いたとあります。
 ヘロデ大王という人は、純粋のユダヤ人ではなく、ユダヤの南の方のイドマヤという地方の出身です。このイドマヤに住むイドマヤ人というのは、旧約聖書に出てくるヤコブとその兄エサウの物語で、エサウが別名エドムと呼ばれるようになるエピソードがあるんでけれども、そのエドムの子孫だとされている民族なんですね。ヤコブの子孫であると自負しているユダヤ人からは見下げられていた、被差別民でした。
 このヘロデという人は、ユダヤ人の間の政治的混乱に乗じて、イエスの生まれる30年ほど前に権力を握り、またローマ帝国の皇帝とは仲良くやってゆく政策を取っていたために、ローマから「ユダヤの王」として任命されていた人でした。
 ですから、もうお分かりだと思いますが、この占星術の学者たちがユダヤの首都のやってきて、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか?」と聞いた相手が悪かった。ヘロデがこの時点では「ユダヤ人の王」なんですね。その王に「新しい王はどこにいますか?」と聞いているわけです。

▼新しい為政者はどこにおられますか?

 私が勤めている学校でも、地域のお客さんを呼んで、クリスマス礼拝をやりまして、そこで40−50分間ほどのページェントを上演します。ここ10年近く、あまり代わり映えのしない台本でやっていますけれども、ちょっと自分でも気に入っているのは、このページェントにはヘロデ大王が登場するんですね。ヘロデというのは、まあクリスマスの物語の中では悪役ですよね? 悪役が存在感を持って現れるクリスマス・ページェントというのはちょっと珍しいのではないかと思います。
 この劇の中で、ヘロデに学者たちが「新しいユダヤの王様はどこにおられますか?」と空気を読んでない質問をぶつけるんですね。すると、ヘロデが怒り出して「ユダヤの王は、この俺様だ!」と怒鳴る場面がありまして、何年やってもこの場面を見るのは楽しいです。
 ヘロデの所にやってきて「ユダヤの王はどこにおられますか?」と聞いたというのは、言ってみれば「新しい総理大臣はどこにおられますか?」と首相官邸に行って、直接総理大臣に皮肉を叩きつけるようなものです。つまり、これは非常に政治的な問題です。

▼政治的なクリスマス

 ヘロデという人は非常に恐ろしい王として知られていました。ハスモン家というユダヤ系の王朝の家系を皆殺しにしたり、疑心暗鬼に陥ると自分の妻や息子でも遠慮なく処刑したりして、自分に反旗を翻す人間は1人残らず消すという徹底ぶりでした。そういう背景もあって、聖書でもベツレヘム周辺一帯の2歳以下の男の子を一人残らず殺させた、みたいな話が載っていたりもします(マタイ2.16)。
 政治家としての彼の業績で最もよく知られているのは、エルサレムの神殿の大改築ですね。それから、マサダの大要塞を始めとする要塞都市の建設、ヘルモン山から10キロ以上も上水道を引いてきて、下水道も完備、円形劇場や競馬場まで備えた港湾都市カイサリアの建設など、かなり大掛かりな建設関係にお金を使うタイプの政治家でもあったようです。
 この大胆で有能だけれども、残虐さで恐れられていた王に対して、クリスマスの物語は、「新しい王に交代せよ」と促すものです。新しい王とは、すなわちイエスです。
 この促しを受けて、エルサレムの住民も不安を抱いたと書かれていますが、これも非常にリアルな話ですね。「今の政権がいいとは決して思ってはいない。しかし、今の王がもし交代することになったら、一体他の誰に務まるっていうんだ」と必ず言う人が出てきます。消去法でいったら、今の為政者しかいない。そんな風に人は思うものなんですね。たとえ今の生活がどんなに苦しくても、不本意でも、それでも変化は怖い、そう思うのが民というものなのかもしれません。
 しかし、福音書記者ルカは、こんな利権と私利私欲に溺れた王は撤退するべきなんだ、と暗に主張しているんですね。クリスマスは非常に政治的な物語なんです。

▼小さな変革を受け継ぐために

 クリスマスといえば、恋人たちが愛を温め合うためにデートをしたり、家族が一同に集まってパーティを催したり、プレゼントを交換したり、そしてみんなでささやかな幸せを分け合いましょう……みたいなイメージを抱いている人が世の中のほとんどでしょう。
 けれども、私たちは知っておきたいと思うのですけれども、クリスマスの物語は本当は、「この世の中を変えようよ」という非常に社会的なメッセージを呼びかけているのです。
 大掛かりな建設や開発の計画、軍事大国との密着のために税金を使い果たしてしまう一方で、自分を批判する者は抹殺することも辞さない、そんな支配者は要らないんだと。
 私たちに必要なのは、イエスのような、弱い人間、貧しい人間、病んでいる人間、虐められる人間のそばに寄り添って、病を癒したり、一緒に飯を食ったり、飲んだり、笑ったり。そうやって、闇の中に一つ一つ灯火を灯してゆくような、小さな変革を起こす人です。
 小さな変革ですが、そこには希望があります。そのような一見地味ではありますが、一人一人の人間をケアしてゆくことからでないと実現しないものがあります。イエスが始めたその業を、受け継いでゆくためにキリスト教会はできました。
 クリスマスはイエスがこの世に生まれた事を喜ぶ時だからこそ、イエスがこの世で何を始めてくれたのかを思い、それを私たちも行ってゆきたい。温かい部屋、美味しい食事、楽しい会話、大いにクリスマスを楽しみましょう。でも、それをここには今おられない、まだおられない方とも分け合えるように。そんな幸福な人生が1人でも多くの人に行き渡りますように。そう思いを新たにするクリスマスでありたいと思います。






礼拝堂/メッセージライブラリに戻る

「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る

ご意見・ご指摘・ご感想等はこちらまで→牧師あてメール