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2020年5月31日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 ペンテコステ礼拝 説き明かし

 牧師:富田正樹

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聖書の朗読&お話(約24分)



 使徒言行録2章1-13節 
(新共同訳)
 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は精霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
 人々は驚き怪しんで言った。
 「話をしていることの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。




▼ペンテコステ、おめでとう

 皆さん、今日はペンテコステを祝う礼拝です。
 ペンテコステというのは、クリスマスやイースターに比べてやや地味なお祝いですが、教会の誕生日とか、宣教の始まりの日として記念される大切な日。キリスト教の三大祭(3つの代表的な祭)の1つです。
 この「ペンテコステ」というのは「50番目の」という意味のギリシア語です。それで私たちも「50日目のお祭り」すなわち「五旬祭」と訳語を使っていますが、これは、元々ユダヤ教の「(ヘブライ語で)シャブオット」という名前の春の最初の収穫をお祝いするお祭りと同時に、モーセがシナイ山で十戒を書いた石板を神様からもらってきた、いわゆる「律法記念日」でもあります。
 春先に行われる「過越祭(ヘブライ語でぺサハ:というのはイスラエル人のエジプトからの脱出をお祝いする祭ですけれども)」その50日後に、今度はそのイスラエルに律法が与えられる記念日をお祝いするという、イスラエルにとっては民族の独立を記念する大事な祭なんですね。
 その50日間の間隔を数えて、周辺の他の民族を含めたローマ帝国の公用語であったギリシア語を使う人たちの間では、これを「50日祭」(ペンテコステ)と呼ばれていたわけです。
 今日お読みした聖書の物語によれば、このペンテコステ(シャブオート)のお祭りの時に、ローマ帝国のあちこちの地方に住んでいた、ユダヤ教徒や、ユダヤ教への改宗者の人たちがエルサレムに旅して、集まって来ていたんですね。
 その中にイエス派(まだキリスト教とかキリスト者という呼ばれ方をされていなかった時なので、仮に「イエス派」と読んでおきますが)そのイエス派のリーダーたちの姿もあったと。
 1節に「一同は一つになって集まっていた」と書いてありますが、この「一つになって」という言葉は、この使徒言行録の始まりの部分では何度も繰り返し使われる言葉で、最初の頃のイエス派の人たちが、いかに団結が強かったかということを(実際にそうだったかは別として)強調しているところですね。
 そうやって、イエス派のリーダーたち(使徒と呼ばれるようになるのですけれども)の一人一人の頭の上に、炎のような舌が現れて、そして「霊」が語らせるままに様々な地方の現地語で神様の偉大な業を語り始めたという出来事が描かれています。
 今回お読みしたところの最後の方、13節に、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」とあざける人もいたことが書かれていますので、実際、このような一見酒に酔っぱらったような集団的な神秘体験が起こることは、当時の人にとっては不思議ではなかったのだろうと思います。

▼ローカルの発想

 この使徒言行録を書いたルカは、このような神秘体験が驚くべきこととして書いているのではなくて、その内容が驚くべきことだったと言っていることには注目すべきではないかと思います。
 イエス派の使徒たちは、そのときエルサレムに集まって来た各地のユダヤ教徒たちの、「故郷の言葉」……要するに「お国言葉」を喋っていたというのですね。それで各地からやって来た人たちは驚いた。
 そのほとんどがガリラヤ地方出身だった使徒たちは、イエスと同じようにヘブライ語の一方言であるアラム語を喋っていて、しかも高等な教育を受けたとは言えない人たちです。その使徒たちがいきなり、各地の現地語を話し始めたと言います。
 それがイエス派の宣教の始まり、そこから各地にイエス派の教えは述べ伝えられていったのだということなんですね。
 これはとても面白いことだと思います。なぜなら、後の時代の聖書の執筆やキリスト教の宣教というのは、主にギリシア語(先ほども申し上げたように、当時の世界の公用語ですね)で行われたからですね。
 一つの宗教、思想、理念といったものを世界に広げたいと思ったら、手っ取り早いのは、公用語を使うことです。今の時代ならまず英語で情報を発信することが大事だと言われます。英語が使えないと、世界の多くの人とやり取りすることはできません。
 しかし、最初の使徒たちのやり方はそうではなかったというんですね。最初のイエス派のやり方は、それぞれの人たちのローカルな言葉で伝えようとしていたというわけです。
 これは、非常に手間がかかるやり方で、効率的ではありません。しかも、言葉を変えるということは、ものの見方、感じ方、世界観などの構成も若干変わってしまうということですから、例えば、アラム語で話したガリラヤのイエスの思想も各地の言葉に翻訳した時点で、微妙にニュアンスが変化してしまいます。
 しかし、初期のイエス派の人たちは、それでもいいと考えたのでしょうか。あえて、それぞれの人の生まれながらに馴染んだローカルな言葉、言葉というのは文化そのものですから、そこに入ってゆくような形で宣教したということなんですね。
 発想が、世界統一基準、グローバリズムじゃなくて、各地の言語や文化を大事にするローカリズム重視の宣教だったわけです。

▼キリスト教のグローバル化

 でも、おそらくそのようなローカルなお国言葉を大事にする宣教の仕方というのは、すぐに廃れていったのではないかと思われます。
 というのは、新約聖書というのはギリシア語、つまりグローバルな言語で書かれて、広まっていったからです。
 新約聖書の最初の文書は、パウロが書いた手紙だとされていますが、このパウロの手紙がギリシア語で書かれていました。そして、パウロはローマ帝国のあちこちを旅をしながら宣教して回りました。その時に、彼は公用語であるギリシア語を使って宣べ伝えました。それによって、キリスト教はグローバルな宗教への第一歩を進み始めたと言えます。
 そして、パウロに続いて書かれ始めた福音書もギリシア語で書かれました。最初に書かれたマルコによる福音書のギリシア語は決して流暢なものではなく、明らかに不慣れな言葉遣いであると指摘する学者もいます。しかし、そこまでしてギリシア語の福音書を出さなくてはならないとマルコが考えたのは、キリスト教のグローバル化について行かなくてはいけないと必死だったからでしょうね。
 そして、その後、キリスト教は迫害に合いながらも少しずつ信徒の数を増やし、4世紀にはローマ皇帝が公認化し、さらには国教にするという歴史の大転換が行われました。そして、キリスト教はすっかりギリシア語の宗教になりました。
 後に東西のローマが分裂して、教会も分裂して、東ローマの教会はギリシア語、西ローマの教会はラテン語という風に大きくは分かれましたが、それでも、教会の言語は公用語で、ローカルな言語しかわからない人は教会で聖書が読まれても、何のことを言っているのかチンプンカンプンという時代が1000年以上も続きました。

▼再びローカライズへ

 その歴史が転換したのが、15世紀の宗教改革の時です。イギリスではジョン・ウィクリフやウィリアム・ティンダルという人が、またドイツではマルティン・ルターが、初めて聖書を原語から英語やドイツ語に翻訳して、出版しました。
 ちょうどその時期に活版印刷術がドイツで開発されて、それが一気にドイツ語聖書の普及につながりました。といっても、もちろん紙もインクも高価なものですし、文字を読める人も多くはありませんから限界はあります。
 けれども、それでも、何を言っているのかわからないラテン語と違って、ちゃんとローカルの言語で読んで理解ができる聖書が現れたことで、「自分で読んで、解釈でき、考えて、信仰的判断ができる」ということが可能になって、カトリックに対する抵抗運動に弾みがつき、宗教改革を一気に後押ししたというのは、確実に言えることです。
 日本語の聖書の歴史はすでに16世紀には始まっていて、フランシスコ・ザビエルが日本に初めてやって来た時には、すでに日本語訳のマタイ福音書の一部を持って来ていたと伝えられています。そして17世紀の始まりには、京都で第1号の日本語訳の新約聖書がカトリックの宣教師たちによって完成したようです。
 今でも、聖書の翻訳事業は進んでいて、3年前(2017年)の世界聖書協会の統計では、旧約・新約両方揃った形で読める聖書の翻訳の数が、674言語に達しているそうです。と言っても、世界には7,097もの言語があるとされているんですけどね。それでも、現段階で400以上もの言語への翻訳プロジェクトが進んでいるというので、大したもんだなと思います。

▼正典のゆるやかさ

 このように、聖書をローカルの言葉へ、という動きはイスラームでは考えられないことだと思います。
 イスラームというのはムハンマドがアッラーの啓示を受けて書き記したアラビア語のクルアーンこそが本当のクルアーンで、翻訳のクルアーンは本物ではなく解説書に過ぎないと言い切ります。翻訳というものの本質から言うと、その方が一理あるのです。
 けれどもキリスト教は、翻訳してローカルの言葉に直してでも、世界に浸透させてゆきたいという、世界に広げるという意味ではグローバルかも知れませんけれども、別に翻訳によってローカルの人がローカルの発想で理解し直しても、ある程度は仕方ないのだよという開き直りと言いますか。
 そもそも、イエスはアラム語で話しており、アラム語のイエスの著作などこの世に残っていないわけです(もちろんまだ発掘されていない可能性がないとは言い切れませんが)。
 私たちの手元にはギリシア語に翻訳したイエスの言葉しかなく、それも世界には写本の断片しか発掘されていなくて、それを学者たちが編集して1冊の形に仕上げたものが底本として出版されていて(それも、いまだに改訂作業と改版が続いています)、それを基にして、さらに各国・各民族のローカル言語に翻訳されており、それも何十年かおきに新しい翻訳が出版されます。
 それでもいいのだ、というのが、キリスト教の聖書の緩やかなところなんですね。そして、その聖書をローカライズしていこう、それぞれの「お国言葉」でわかるメッセージにしていこうというのは、実は、最初のイエス派の人たちのやり方を踏襲しているとも言えるわけです。

▼あんたは愛されちゅう

 それは、多少の翻訳による誤差が生じても、大元のイエスの伝えようとしたことに、大きな揺るぎはないという楽観的な気分が、最初のイエス派の人々にはあったということではないかと、私は推測しています。
 「細けえことはいいんだよ」、「ちっちゃいことはええねん、ええねん」みたいな。「大事なことは、あんたが愛されちゅうということよ」という感じ。「あんたは愛されとるんよ。大事な人なんよ」という感じ。これを伝えたい。あんたのお国言葉で伝えたいんよと。
 私たちが私たちの教会の宣教を想う時、大事なことはシンプルに伝えたらいいのではないか、と私は思います。
 「なかなか人の世の中で、自分は愛されとると思うことは少ないかも知れん。けれども、あんたは神様に愛されとるんよ。愛されるに足る存在なんよ」、「そして、私らもあんたのことを慕っとるよ」というシンプルな事実を伝えることに尽きるのではないかと思います。
 それ以外のことは、人によっていろいろに違った見方、感じ方、考え方が出て来ても、お互いに「なるほど、そんな見方もあるのかねぇ」と言ったり、「それはどうもワシにはわからんな(笑)」と言っておれば良いのではないでしょうか。
 ただ一つ譲らないのは、「あなたは神に愛されとるんよ」ということ。それだけです。神に愛され、イエス様に愛される喜びを伝える教会であり続けましょう。






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