すべての人が食べて満腹した

2020年10月4日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 世界聖餐日礼拝 説き明かし

 牧師:富田正樹

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聖書の朗読&お話(約30分)



 マルコによる福音書10章38-42節 
(新共同訳)
 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それを気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。
 「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」
 これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。
 弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。
 イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」
 弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
 そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
 すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。




▼聖餐に関する聖書の記事

 おはようございます。今日は世界聖餐日ということで、聖餐に関する聖書の箇所を読ませていただきました。
 聖餐の関する箇所と言っても、代表的なのはもちろん、聖餐式をそのまま表しているとされている「主の晩餐」(すなわち、イエスの受難の直前に交わされた、いわゆる「最後の晩餐」の記事です。
 もうひとつは、今日お読みした「五千人に食べ物を与える」あるいは、少し後のページにも記録してある「四千人に食べ物を与える」という記事ですね。これも、イエスを中心とした集まりにおける食事の様子をよく表した記事だとされています。
 今あげた、「主の晩餐(最後の晩餐)」も「五千人に食べ物を与える」記事も、どちらも歴史的な事実としての可能性は薄いです。
 「主の晩餐」の記事は、新約聖書の中では早いうちに書かれた(と言っても、イエスの十字架のあと20年は経っていますけれども)パウロの手紙の中と、さらにその10年か20年後に書かれたイエスの伝記としてのマルコ福音書の両方に、あまり大きな変化もなく収められていますので、これはもう既に出来上がっていたパンとワインによる儀式の式文を、パウロもマルコもほぼそのまま自分の本に引用したのだなと考えられるわけです。
 もちろん核になったイエスの言葉、「これは私の体である」、「これは私の血である」という衝撃的な言葉はイエス自身が発した言葉であろうと思われます。
 けれども、例えばイエスの周囲には12人の男性の弟子しかいなかったという記事などについては、12人の男性を中心にして、それを「使徒」という聖職者として立てたエルサレムの教会が作った物語ではないかという推測もできるわけです。
 今日お読みした「五千人に食べ物を与える」という記事も、歴史の事実としては読みにくい箇所です。まず、パン5つと魚2匹だけで男性だけでも5000人が満腹になったというのは、他にもたくさんある奇跡物語と同じように、まあ科学的、物理的にはありえないです。
 「科学的、物理的にはありえないことを行うから奇跡なんだ、だからこそ神の子なんだ」と思う方は、思ってくださってもいいと思います。
 ただ、奇跡というのは奇跡を能力を持つ人と同じ場所にいないと、意味がありません。今、私たちの時代にお腹を空かせて悩んでいる人の前で、「イエス様が昔、パンと魚をたくさんに増やす奇跡を行ってくださいました」というお話をしても何の意味もありません。
 お腹を空かしている人には、食事を提供しないとダメなんです。「イエス様が奇跡を行われた、素晴らしいイエス様」と褒め称えるだけでは、困窮している人は救われません。
 しかし、この物語そのものはとてもいい話です。「イエス様とお弟子さんたちが食事を用意してくれて、そこにいたみんながお腹いっぱいになりました」という話です。イエスの弟子が食事を用意して、そこにいた人がお腹いっぱいになるという物語。そこに、イエスのもとに集まった人たちが共有していた楽しい記憶、喜びに溢れた記憶が描かれていることがわかります。

▼予約制のないイエス様

 というわけで、今日の聖書の箇所を改めて最初から読んでみましょう。マルコによる福音書の6章30節からです。
 「さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、『さあ、あなただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい』と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである」(6.30-31)。
 イエスとイエスの弟子たち、と言っても、もうイエスに派遣されてイエスと同じように教えたり、癒したりという活動を行っているので、むしろスタッフあるいは同労者と言えます。「私もスタッフも休息が必要だ」とイエスは言っているのですね。「食事をする暇もなかった」と書いてありますから、大人気だったんですね。大人気というか、イエス様のご一行は予約制というシステムを取ってなかったらしい。
 私、ここ数ヶ月、お薬がどんどん増えてゆくのに、一向に鬱状態が軽くならない状況に悩んでおりまして、決心して別のお医者さんにかかろうと思って、自分の行きやすい地域でインターネットの口コミで一番評判のいい心療内科に電話をかけたんですね。すると、1ヶ月以上先まで予約がいっぱいでした。そして、それ以上先はまだ予約を受け付けていません、というんですね。
 これはでも、なんとなく患者としてもわかるような気がするというか、勝手な想像ですけれども、双極性障害(躁鬱病)の当事者というのは、約束のドタキャンが多いんです。ちょっと調子の良い時や躁状態の時に電話をかける元気があっても、いざ約束の日時が来ると、その緊張から鬱に陥ってしまって、家から出られないとか、寝床から起き上がれないとかいうことがよくあります。そして、「行かなきゃ」「本当は行きたいんだけど」と思っている間に時間が過ぎてゆき、「もう今から出ても間に合わない」という時間になって初めて、先方に連絡をする諦めがつくという具合です。これは大体の患者に当てはまります。
 ですから、心の病、ことに双極性障害の患者の実態に即して言うと、イエスが診療活動の予約を取らない、来た人から診てゆくというのは、別におかしなことではないと思います。ただ、「食事をする暇もないほど」来た人が多いということは、確かにイエス様もスタッフも大変ですし、患者も随分待たされたのではないかなと想像します。

▼飼い主のいない羊たちのような世の中

 まあとにかく、イエス様ご一行は休みを取ろうと言って人里離れた所に舟に乗って出かけてゆきます。ところが、多くの人々がそれに気づいて一行を追いかけてきて、郊外の休暇先でまた集まってしまうわけです。
 そこで、イエス様がその大勢の群衆を見た時、34節によれば、「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ」と書いてあります。この「飼い主のいない羊のような有様」というのは、実はここだけではなく、他の福音書の他の物語においても使われている言葉です。つまり、福音書が書かれた当時のキリスト教会でよく使われていた言葉と考えられます。これによって、古代のキリスト教会が世の中をどのように見ていたかを伺い知ることができます。彼らは、自分たちが生きている社会を「まるで飼い主のいない羊のような有様だ」と捉えていたということですね。
 そして「深く憐れみ」という言葉も、ご記憶の方も多いと思いますが、これも新約聖書でよく使われます。ギリシア語で「スプランクニゾマイ」という動詞で、「内臓がちぎれるような思い」、愛や憐みのあまり内臓がちぎれるという思いのことを指していて、ルカによる福音書の「善いサマリア人」のたとえ話のところで、サマリア人が追いはぎに襲われた人に抱いた思い、あるいは「放蕩息子」のたとえ話で、放蕩息子が帰ってきたときに父親が抱いた感情として描かれる言葉です。
 初期のキリスト教会の人々は、自分たちが生きている社会をイエスが見た時、どう思うだろうかと考えました。それを「飼い主がいない羊たちのような有様で、イエスは内臓がちぎれるような思いで見ておられるだろう」と書いたわけです。
 この世の人々は、まるで飼い主のいない羊たちのような、おそらく方々に迷い出ていて、どちらに向かって歩けばよいのかもわからず、どこで餌にありつけるのかもわからず、また無防備で何に襲われるかわからない危険な状況とも言えます。「『これではいけない』とイエスなら思うだろう」というのが福音書記者の言いたいことでしょう。

▼あなたがたが食べ物を与えなさい

 イエスはこのような人々の様子を見て深く憐れみ、いろいろと教え始められたとあります。けれども時間が経ち、みんなが空腹を覚える頃になりました。そこで弟子たちはイエスに、「人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べるものを買いに行くでしょう」と言います(6.36)。
 これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と答えました(6.37)。つまり、イエスとそのスタッフで集まってきている人たちに食べるものを用意しようじゃないかと言っているわけです。
 これも生前のイエスの実際の活動と共に、イエスが亡くなった後も続けられた初期のキリスト教会の活動を反映している可能性があります。エクレシア(つまりイエスの名による集い)に来た人々には、食事を振る舞っていたわけです。
 イエスが弟子たちに「あなたがたが食べ物を用意しなさい」と言ったということは、キリスト教会に「あなたがたは、この世の飢えて迷っている羊たちに食べ物を与える側になりなさい」ということを教えておられるのだと解釈することもできます。
 これを聞いた弟子たちは驚いて、「わたしたちが200デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と驚きます(6.37)。200デナリオンというと、正確にはわかりませんが、大体100万円から200万円の間と見ていいでしょう。これを5000人で割ると、1人200円から400円程度ということになるので、なるほどコンビニで調理パンを買った程度と考えても、5000人分を用意しようと思えば確かに200万円くらいかかる計算です。果たしてそんな予算がどこにあるのか。

▼青草の原に休むエクレシア

 イエス様ご一行の持っている食糧は、わずかなものです。パン5つと魚2匹。するとイエスは、「皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった」とあります(6.39)。ここで私たちは、旧約聖書の詩編23編を連想します。
 23編は昔から多くの人に愛されてきた詩編で、この教会でも今年の初めに神様のもとに戻られた四宮さんもそうですし、説き明かしを担当する礼拝で、この23編を読むよう指定してくださる方も多いですよね。
 そして、もちろん福音書の記者も、この23編を読む人が連想するようにこの記事を書いているんですよね。23編にはこう書いてあります。
 「主は羊飼い、私には何も欠けることがない。
  主はわたしを青草の原に休ませ
  憩いの水のほとりに伴い
  魂を生き返らせてくださる」(詩編23.1-3)
 イエスがみんなに「青草の上に座るように」と命じた。と読めば、これを読む人は詩編の23編を連想して、「ああ、私には何も欠けることがない。イエス様が私たちを青草の原に休ませてくださって、私たちの魂を生き返らせてくださるのだな」という思いが湧いてくるようになっているんですね。
 そして、「人々は100人、50人ずつまとまって腰を下ろした」(6.40)と書いてありますが、実際この福音書記者の時代のエクレシアは50名から100名単位の集まりで1つのブロックを形成し、それが5つから10個くらいのブロックで全体を構成していたのだろうか、とか。人間の脳が紙もペンも使わないで把握できるのが140人くらいまでだと言われますから、1ブロック100名以内というのは妙にリアルな数字なんですね。
 そしてイエスは「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した」(6.41-42)。
 こうして順番に読んでゆくと、元々の伝承(言い伝え)はこの「5つのパンと2匹の魚で、そこにいた人がお腹いっぱいになりました」ということだったのかなぁと思います。イエスと弟子たちとそこに居合わせた人たちの食事の最初の記憶は「パン5つと魚2匹で腹いっぱいになった」ということだったのではないでしょうか。もちろんそれは生前のイエスの活動の初期も初期、人数が少なかった頃の記憶の断片です。
 それが原点、そこが出発点で、そこからやがて5000人が共に食事をする共同体へと発展してゆくのですけれども、「原点はパン5つと魚2匹だったのだ」ということを福音書記者は述べているのではないだろうか、というのが私の推測です。

▼初期キリスト教会の奇跡

 そして最後にこう書いてあります。「そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった」(6.43-44)。
 この12の籠はおそらく12人の使徒たちのことでしょう。実はこの福音書の8章1節から「四千人に食べ物を与える」という物語も書いてあり、そこでは残ったパン屑の籠が7つだったとあるのですね。
 そっちの方は、今日はもう長くなるので、詳しく述べませんけれども、エルサレムを出て各地の異邦人に福音を伝えに行った7人の宣教者たち(使徒6.1-7)のことを指している、というのは私の指導教授の受け売りですけれども、まあおそらくそうだろうと。
 男性だけで5000人を数える、主にヘブライ語を話す人たちのお世話をする12使徒と、4000人の主にギリシア語を話す人たちのお世話をする7人の福音宣教者。併せておよそ9000人ということですが、この数字は妥当なのでしょうか。
 ある研究によれば、紀元100年ごろ、つまりこのマルコによる福音書より30年ほど先の段階で、クリスチャンの数は7500人くらいだっただろうと言います。だとすれば、ちょっとこのマルコの9000人という数はかなり誇張が入っていますね。マルコの時代にはもっと少なかったはずです。その頃のクリスチャンの増加率が10年で1.4倍程度と算出されていますので、まあマルコの時代で多くて3000人、それも男女合わせてです。しかも、多分クリスチャンの数は女性の方が多かったでしょう。
 ただ、これは個人的な主観ですが、男女合わせて3000人というクリスチャン人口を、「男だけでもこっちに5000人、あっちに4000人もいる!」と福音書記者が言ったくらいのことでは、あまり驚かなくていいのかな、という気もします。
 今から83年前(1937年)に起こった南京事件(南京大虐殺)の犠牲者の数が、ある人によれば30万人、ある人によれば1万2千人、またある人によれば南京大虐殺自体が捏造であると言われます。現代史でもこのような有様ですから、2000年前の古代人が3000人を9000人と言った程度なら可愛い方かなと思ったりもするのですが、いかがでしょうか?
 そんなことよりも、出発点においてはパン5つと魚2匹だったイエスの小さな食卓共同体が、イエスの没後40年経って、現実的に見積もって約3000人の人たちが満腹するような食事を提供する教会に発展したことに、「これは奇跡だ」と言いたくなる福音書記者の気持ちもわかるような気がしませんでしょうか。

▼福音書記者の喜び

 というわけで、今日は少々長くなりましたが、「五千人に食べ物を与える」奇跡の物語を少し丁寧に読んでみました。
 キリスト教会は共に食べる共同体(食卓共同体)とも呼ばれます。それはイエス様が「一緒に食べて満腹する」ということを、いつも大切にしておられたからです。
 今日の聖書の箇所からは、そのイエスの食事が、最初は「パン5つと魚2匹」で満腹できるような小さなグループから始まったにもかかわらず、やがてその40年後のマルコの時代には、3000人くらいの教会があちこちのエクレシアで食事を共にするようになった。その奇跡的な歩みを喜ぶマルコの声が聞こえてくるようだなと、私は思います。
 そして、イエス様が「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」(6.37)とおっしゃったように、私たちが自分たちの食べる分を確保するだけでなく、この世の「飼い主のいない羊のような有様」にある人々のために「食べ物を用意しなさい」ということが、どういうことなのかを改めて考え直さなくてはいけないのかなというヒントも与えられているように感じるのです。
 皆さんはどのようにお感じになりますでしょうか。
 本日の説き明かしは以上といたします。





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