もともとあった分かち合い

 2021年1月24日(日) 

 日本キリスト教団 徳島北教会 主日礼拝 説き明かし

 牧師:富田正樹

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聖書の朗読&お話(約27分)



 使徒言行録17章1-9節 
(新共同訳)
 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。
 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところに入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。
 しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。
 しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を街の当局者たちのところに引き立てて行って、大声で言った。
 「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」
 これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。




▼まるで聖書研究会

 おはようございます。今日は「もともとあった分かち合い」というタイトルにさせていただきました。これで何を話そうとしているかというのは、もうお気づきの方も多いのではないかと思います。そうですね。「分かち合い」というのは元々キリスト教の礼拝にあったものなんですよ、というお話です。
 また、なんでそんな話をするのかというと、それは「分かち合い」をやっている礼拝は礼拝じゃないと。「それは礼拝じゃなくて聖書研究会じゃないの」と、半分揶揄されるような調子で言われることが、私たちの教会にはたびたびあるからなんですね。
 昨年、天に帰られた四宮さんも、そういう心ない言葉に悩んでおられました。特に徳島分区の他の教会のクリスチャンのお友達の方々に、「あなたの教会の礼拝は、礼拝じゃなくて聖書研究会みたいね、って笑われるのよ……」と、心を痛めておられて、私にも時々そういう思いを漏らしておられました。
 私は以前、そのようなことを四宮さんに聞かれた時に、その時はうまく答えられなかったんですね。
 でもその後、四宮さんが亡くなられてからですけれども、聖書を読んでいて、あれ? と気付くところがありました。今日お読みしたのがその聖書の箇所です。

▼泥臭い使徒言行録

 新約聖書の中でも「使徒言行録(昔の聖書では「使徒行伝」と呼ばれていましたが)」というのは、あんまり人気が無い本です。他の福音書やパウロの手紙などは、イエス様の教えや、クリスチャンとしてどう生きるのかとか、そういうことがたくさん書かれています。
 けれども、使徒言行録というのは、「誰がどこに行って、どんな話をした。それで逮捕された。でも釈放された。今度はどこに行って、また話をした。論争もした。そしたらまた捕まった〜みたいな話の羅列で、「なんも面白ない」という人が結構いるんですね。
 ところがですね、私はこの使徒言行録が面白くてたまらんのです。まあ私は暗記は得意ではないんですけれど、それでも歴史関係の話題は割と好きです。特に、こうして教会の宣教のわざに関わって生きている者としては、初代の教会がいかにしてローマ帝国に広がっていったか、ということには非常に関心があります。
 また、教会というのは、外から見たイメージはともかく、中に入ると、特に「聖職者」と呼ばれている人たち、すなわち「牧師」ですね。牧師たちの中に入ると、実際には非常に泥臭い駆け引きとか、派閥がらみいやらしい勢力争い、神学論争のはずなのに最後は多数派工作で決まるとか、そんなことに明け暮れているどす黒い世界なんですね。
 ところが、使徒言行録を読むと、「ああ、キリスト教会って最初っからそうやったんや〜」って分かるわけです。
 多くの人は、聖書というのは清らかなことが書いてあるもんだという期待、思い込み、あるいは美しい誤解を抱いて読もうとするので、使徒言行録みたいな本を読むと、何を書いているのかわからなかったり、何のためにこんなことが書いてあるのか、こんなことが自分のためになるのかと困ってしまって、そのうち読むのが嫌になってしまうんですね。
 別にそれではあかんということはないんですけれども、でも私はこの本が好きです。面白くてしょうがない。「あ、それそれ! 分かるわ!」みたいな。
 そして、こんな本が何のためになるのかというと、多分、この本を読めば、「ああ〜、キリスト教会というのは、最初からすったもんだの連続で、今に始まったことではありませんよ」と。だからもし、今すったもんだで悩んでる人がいたら、「あなたそんなに落ち込むことじゃないよ、教会なんてそんなもんよ」という「励まし効果」のようなものがあるんですね。
 誰が最終的に正しいとか、そんなことは誰にもわからない。ただ、全てがキリスト教会なんだと。「お前が言ってるようなことを垂れ流すのは許せない」とか、「不愉快だからこんな奴らとは一緒にはやれん」とか、色んなことをクリスチャンは言いますけど。そして、それを面白がって見ていて、ちょっかい出してくるような人も出てきますけれども。神様から見れば、みんな可愛い神様の子どもだよと。
 そんな思いが、このルカという人が書いた、福音書の続編である「使徒言行録」という本から立ちのぼってくるんですね、そういう思いが。
 だから私も、いまだにそんなすったもんだの渦中にいますけれども、「使徒言行録」を読むと、「お前、独りぼっちじゃないんだからな」と、非常に心が慰められます。

▼3週間の滞在

 はい! そういうわけで、今日の本題に戻ります。取り立てて、衝撃的なことが書いてあるわけではありません。使徒言行録17章1節から。
 使徒パウロとその協力者であるシラスという人が、2人ペアになって、旅をしながら福音を宣べ伝えていました。そしてテサロニケ(現在のテッサロニキ)という、今で言うとギリシアにある、エーゲ海を挟んでトルコとは反対側にある港町。そこに入って、ユダヤ教の会堂に行きましたと。そして、そこでイエス様の福音を宣べ伝えたら、暴動が起こっちゃった、という話です。
 2節を見ると、パウロは「いつものように」ユダヤ人の集まっているところに入って行ったと書いてあります。パウロはいつも安息日にユダヤ教の会堂(「シナゴーグ」と呼ばれますけれども)、そこに行って礼拝していました。
 これはパウロの時代、イエス様が亡くなられてから、まだ20年くらいしか経ってない頃で、まだ「エクレシア」というものができる前の段階のことです。
 最初のイエス様を信じる者たちは、それまでと同じように、ユダヤ教徒として、シナゴーグでユダヤ教の礼拝に参加していたんですね。だから、パウロも安息日ごとにシナゴーグに行って、他のユダヤ人と同じように礼拝をしていました。
 だから、2節の終わりに「3回の安息日にわたって」通ったと書かれていますけれども、わざわざ3回も行ったのか、というんじゃなくて、単に3週間普通に礼拝に行ってたってことなんですね。
 
▼「信徒」パウロの説き明かし

 そして、その礼拝でパウロたちは何をやっていたのかというと、「聖書を引用して論じ合い」と書いてあります(17.2)。ここです。
 つまり、この当時のユダヤ教の礼拝では、礼拝の中で聖書を引用して論じ合うというのが普通だったということです。
 何枚かページを前にめくって238ページ。使徒言行録の13章の13節以降を見てみます。
 「パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」(13節)。これね、パウロらと意見が違うから、「もうお前らとはやっていけん。俺はエルサレムに帰る」って言って離れてった奴がいるってことです。まあ「キリスト教あるある」です。
 さあそれで14節、「パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した」。このアンティオキアという街は、イエスを信じる人たちの一大拠点になっていて、ここの人たちが「キリスト者」(クリスティアノイ)と呼ばれ始めた最初の人たちです(使徒11.26)。
 で、続きを読みます。「そして、安息日に会堂に入って席に着いた」(13.14)というのは、さっきも言いましたけど、普通に安息日にユダヤ教徒としてシナゴーグの礼拝に出たということです。しかも、「入って席に着いた」ということは、何かの役職、つまり祭司とか会堂長とかで特別の席に着いたというのではなく、一般的な信徒として出席していたということです。
 そして「律法と預言者の書が朗読された後(これはユダヤ教の聖書:ヘブライ語聖書で、私たちも持っている旧約聖書の元になった本です)」(13.15)
 で、その旧約聖書が読まれた後、「会堂長たちが人をよこして、『兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください』と言わせた」(13.15)。つまり、シナゴーグの役職の人が、パウロとバルナバを見つけて、宣教旅行の途中で立ち寄ってくれた久しぶりの仲間に、「みんなに何か励ましの話をしてくれないか」と頼んでいるわけですね。
 ここでパウロもバルナバも、「先生」とは呼ばれていません。「兄弟たち」と呼ばれています。つまり彼らは聖職者という位置づけではありません。これはマタイによる福音書(23.8)にも書かれているように、「あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ」というイエス様の言葉とも、完全に一致しています。

▼「いつものように」分かち合う

 さて、聖職者ではない一般信徒の奉仕者ですけれども、お話を頼まれたパウロさん。「そこでパウロは立ち上がり」(使徒13.15-16)、ということは、別に前に行って講壇で話したとかそういう事ではなくて、その場で立った。そして、「手で人々を制して言った」(13.16)。
 「手で制した」ということは、みんな喋ってたってことですよね? 「Hey Hey, Everyone, Please be quiet. Listem to me!」と言って黙らせたわけです。そして、パウロは説き明かしをしました。聖職者による説教ではなくて、信徒……まあ一応その場にいる中では有力な信徒ではありますけど、やっぱり信徒です。
 よく「使徒パウロ」と言いますけれども、本来「使徒」というのは、イエス様の生前からの直弟子ということなので、パウロは違うんですね。でも、パウロがイエス様への信仰に目覚めたあと、自分で「俺は使徒なんだ」と言っていたからそういう風になっただけで、まあこれも、じゃあなんでパウロさんが「俺は使徒なんだ」と言わずにはおれなかったのかというと、それはまた別の機会に譲りますけれども。
 とにかく、別に他とは違う聖なる人というわけではありませんでした。実際この人の本職は、テント作りの職人ですからね。
 そしてここで、パウロが立ち上がって、「手で人々を制した」(13.16)。ということは。みんな喋っていたということであると。礼拝に来ていた人たちが何を喋っていたのか? 私語を交わし、雑談を楽しんでいたのか? もちろん雑談の可能性もあります。
 けれども……そこで今日の聖書の箇所に戻るんですが、17章2節に、パウロは「いつものように」シナゴーグに通って、聖書を引用し、論じ合ったと書いてありますので、実は礼拝の中で聖書について論じ合うというのが、いつもの様子だったということなんですね。これ、今の私たちが礼拝の中でやっている「分かち合い」です。
 ですから、最初のキリスト者の(それはまだユダヤ教と完全に分かれる前の段階ですけれども)礼拝は、説き明かしと分かち合いがなされていたということなんですね。我々の教会はその原点を踏襲しているということです。
 まあそれを「聖書研究」と言えば、確かに内容的にはそうとも言えます。けれども、論じ合うこと、すなわち「分かち合い」を伴う「聖書研究」の時が礼拝の中にあるというのが、そもそものキリスト者の始まりからの礼拝のあり方ですから、我々としても、「『聖書研究会みたいな礼拝』で何が悪いの?」、「何か問題が?」って、そういうリアクションをしてればいいんですよって、あの時四宮さんと一緒に笑い飛ばしたかったなあって……そう思うと自分の不勉強が悔やまれてなりません。四宮さんもつらかったんだろうなぁって。「私たちのやってる礼拝ってこれで本当に正しいのかな」ってね、悩んでおられたんですよ。

▼説教が重要でないキリスト教

 じゃあなんで? 「聖書研究みたいな礼拝だ」と言ってバカにするような風潮があるのかというと、それはもう歴史的な細かい経緯はさておき、とにかく今の多くのプロテスタント教会の礼拝は、「お説教を聞く会」、歌と音楽付きの「講演会」に成り下がってしまっている。なのに、「それが本来の礼拝だ」と勘違いしているからです。
 そもそもプロテスタントというのは、自分で聖書を読み、自分で考えて、論じ合うというところに醍醐味があるんですね。ここは東方正教会やカトリックとは大きく違います。これは、どれがいいとか悪いといった問題ではありません。
 例えば正教会の礼拝は「聖体礼儀」と言いますけれども、まあ説教なんかほとんど大事じゃないです。ずっと煙焚いたりして荘厳な儀式やってます。長いですし、ずっと立ったまんまで、しんどいです。しんどいから、みんな時々聖堂から出て、外でタバコ吸ってたり、おしゃべりしてたりするんです。
 でも、最後に「聖体機密」っていうんですけども、要は我々で言うところの「聖餐」ですね。イイスス・ハリストスの御身体と御血をいただく。それは絶対に受けないと、今週教会に来た意味がない。だから礼拝の終わりに、皆んなワラワラ礼拝堂に戻っていって、ご聖体をいただいて、そして安心して「今週もなんとかやっていこう〜」とか言って帰って行く。
 いらん話もしたかもしれませんが、要するに正教会の聖体礼儀というのは、説教よりも、音や香り、そしてご聖体の味など、そういった五感で感じることが大事な礼拝だという事なんですね。
 それはそれで素晴らしいものです。

▼原点に戻れ!

 カトリックの場合も、ミサの中での説教というのは本当に短いです。通常のミサでも大体説教は5分から10分くらいです。ミサ全体が50分くらい。だから、そもそも説教の位置付けもミサの中ではそんなに重要ではないんですね。最近ではコロナの影響で、聖歌を歌っちゃいけないということで、さらにミサの時間が削られて、15分くらいでミサが終わってしまうところもあるそうです。
 するとね、例えばプロテスタントの教会だと、年配の牧師さんだったら、説教だけで40分も50分もしゃべってる人いますけど、「そんなにしゃべることあるの?!」とか「みんな本当に聞いてるの?」みたいなリアクションですよね、カトリックの人にそういう話をすると。
 そして、カトリックのミサもやっぱり大事なのは「聖体拝預」ですね。要するにプロテスタントでいう「聖餐」です。イエズス・キリストの御身体と御血をいただいて帰る。それが一番大事なんです。
 それに対して、プロテスタントは、説教中心主義です。五感よりも言葉と頭を使います。これは宗教改革者のマルティン・ルターが、「自分で聖書を読み、考え、論じ合い、そして自分の信仰を育め」という姿勢だったからですね。
 まあ、ルターより前のカトリック教会のミサというと、まず「聖書なんか生まれてから死ぬまで見たこともないよ」という人たちがほとんどです。仕方ないです。だって聖書は全部手書きの写本で、めちゃくちゃに貴重品ですから、教会に1冊あるかないかです。
 しかもミサで読まれる式文は全部ラテン語なので、一般の会衆は全く意味がわからない。わからない言葉で延々と儀式が行われる。だから、みんな寝ちゃってるとか。子どもらが礼拝堂の後ろの方でボール遊びしてるとか、そんなんだったんですね。
 ところが、ルターは「それじゃあダメだ」と考えた。そこで、ラテン語じゃなくて、ドイツ語の聖書を作ろう。みんなが自分で読める翻訳を作ろうと。
 その翻訳プロジェクトの背景には、ヨハンネス・グーテンベルクという人の「活版印刷」という技術の開発があります。これで、教会に1冊あるかないかだったラテン語の聖書の代わりに、ドイツ語の聖書を大量生産して頒布することができます。だから、ルターの宗教改革はこういうテクノロジーの発展なしには語れません。
 そして、とにかく「みんな聖書を自分で読んで、理解して、考えて、論じ合って、そして自分の信仰生活を築いていってくれ!」。それがルターの願いだったわけです。
 そして、それは宗教「改革」とは呼ばれていますけれども、実は使徒言行録に書かれてあるように、パウロの時代からやっていた、説き明かしと分かち合いの礼拝に戻れ! 原点に戻れ! ということだったんです。

▼あなたは聖書をどう読むのか

 それがね。どういうわけか、また細かい歴史は置いときますけれども、いつの間にか、「牧師先生のお話を聞きましょう」というのが礼拝だということになっちゃってる。そして、「今日のお話は良かったです〜」とか、「今日の話はわかりにくかったなあ〜」とか、みんな評論家です。もっと言えばただ消費者です。
 さらにさらに、もっと言えば、牧師の中には「俺の話でみんなを一丁感動させてやるよ」とかね。「俺の話で泣かせてやるよ」とかね。そんなことを吹聴している牧師連中もいるっていう体たらくですよ。
 まあ一種のエンターテインメントです。エンターテインメントが一概に悪いとは言えません。それが牧師と信徒の間の合意だったらですね。
 ただ、プロテスタントの創始者であるルターは、そんなことは望んではなかったでしょうね。
 「あなたは聖書をどう読むのか」。その問いかけに応答して、みんなで論じ合う。そのパウロ以来の初代教会からのやり方に、再び息を吹き込みたい、というルターの情熱は見事に空洞化されています。
 「私は聖書とどう向き合うのか。それをどう教会の仲間と分かち合うのか」。そこにプロテスタントの信仰の醍醐味があります。

 というわけで、いかにもプロテスタントの牧師らしく、長い話になりました。あまりに話が長いので、今日の聖書の箇所の後半に出てくる、「ヤソン」という人の話まで辿り着きませんでしたね。
 すいません、もう十分話が長いんで、今日の説き明かしは以上とさせていただきます。どうもありがとうございました。





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