Brother Thomas' Underground Chapel

いのりつづける

   by Br. Thomas  02/05/2004

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聖書:ルカによる福音書18章1−7節(新共同訳・新約・p.143−144)

  イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。

年に一度の祈り?

  みなさんは今年は初詣に行きましたか?行ったとしたらそれはどこですか。近所の神社ですか。それとも毎年の初詣の参拝者が何万人とニュースになるような有名な神社でしょうか。いずれにしても初詣は新しい1年の無病息災とか、家内安全とか、商売繁盛とかをお願いしに行くものですよね。人によってはそこに去年の健康や仕事の結果への
感謝を思うことでしょう。つまり、去年1年間ありがとうございました、今年もよろしく。とか何とか年賀状の挨拶文のようなお願いになっていきます。
  そこで質問です。初詣に行った神社には1年に何回行きますか。1回きりですか。近所の神社ならともかく、有名なところだと初詣1回きりになる可能性が高いです。だとすると、すごく虫のいい話のような気がするのです。つまり1回お願いしたら1年分お願いしたことになる。それこそ、年賀状だけのつきあいじゃあるまいし、と思うのです。

毎日の祈り

  宗教のスタイルの違いといってしまえばそれまでかもしれませんが、キリスト教では1年に1回ではなく、毎日祈ることを求められます。「主の祈り」もそうです。あれはイエスが弟子たちから、どのように祈ったらよいのか教えてください、と頼まれて教えた祈りです。その中に「日ごとの糧を今日も与えたまえ」とありましたね。今日も与えてください、ということは毎日お願いしなきゃいけない。今年1年豊作で来年の収穫まで食べられるようにしてください、ではないのです。日本と西アジアの違い、日本は米作り中心の経済、西アジアは遊牧や貿易中心の経済、そんな歴史の違いも背景にあるのかもしれません。
  そのかわり、と言ってはいけないのかもしれませんが、キリスト教では自分の願いがなかなかかなわないときには、しつこくお願いしてもいいことになっています。むしろしつこいぐらいに願い求めることが要求されています。もちろん、単にしつこいだけではなくて、心の底からの、本心からの、真剣な、もっといえばせっぱ詰まった願いであることが要求されています。

昼も夜も祈る

  先程読んだ福音書では第1節にこうありました。「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。」祈ったけど、やってみたけど、うまくいかなかった。でもそれで気を落としてあきらめちゃぁいけない。とイエスはいうのです。
  そしてずーっと読んでいくと、第5節、裁判官の言葉です。「しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう」とあります。考えてみるとひどい裁判官です。
  でも、第6節に入ってイエスはこの裁判官を責めてはいないんですね。不正な裁判官と言っているぐらいだからイエスもこの裁判官のことを褒めてはいない。だけどその不正さを責めるよりも、第7節に入ってこう続くわけです。
「まして神は、」昼も夜も求め続ける人をほってはおかない。
  だから祈り続けなさい。と改めては言わないけど、そういう結論になります。しかもここでは、主の祈りが毎日の祈りだったのに、昼も夜も、とさらにしつこさが増している。それでもいいんだ。それぐらい祈りなさい。ということですね。

気を落とさずに

  私たちはそれぐらいしつこく祈っているでしょうか。おまえはどうなんだ、と言われたら、私はちょっと自信ないですね。でも逆に考えたらもっともっと祈ってお願いしてもいいわけです。そう考えると気が楽になります。
  昨日はありがとう、さっきはありがとう、という感謝はまず最初にしなければいけません。でもその後は、お願いばっかりで悪いけど、とか、しつこくお願いして悪いけど、とかいう遠慮は、友達に対しては必要だけど、神様に対してはいらないわけです。
  そこで第1節にもどります。私はこの一言が本当にうれしいです。
「気を落とさずに」。願いがすぐにかなうとは限らない。それどころか、一度はかなったように見えた願いが、そのままずっと続くとは限らない。
  だけど、気を落とさずに祈り続けなさい。
  せっかくイエスがそう言ってくれたのだから、私は祈り続けようと思います。何を祈るのか?それは内緒にしておきましょう。

祈り

  御在天の父なる神様。
  祈り続けることをあなたは命じられました。祈り続けようと思います。祈りに応えてください。道を示してください。祈りを実現するために何をすべきかを教えてください。
  主イエス・キリストの御名によって祈ります。
  アーメン

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