Brother Thomas' Underground Chapel

創られて良しとされたもの

   by Br. Thomas  09/13/2004

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聖書:創世記 第1章 14〜19節(新共同訳・旧約 p.1)

  神は言われた。
  「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
  そのようになった。
  神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜とを治めさせ、光と闇を分けさせられた。
  神はこれを見て、良しとされた。
  夕べがあり、朝があった。第四の日である。

中秋の名月

  今週の月曜は中秋の名月でした。中秋の名月というのは旧暦の8月15日にあたります。
  いつもは9月なのですが今年(2001年)は10月になったので少し涼しい秋の月になりました。来年はまた9月の満月の前日になるそうです。
  お月見というとお団子を連想いたします。月見に団子を供えるという習慣はかなり古いそうです。
  この団子という食べ物は、稲作が日本に入ってくるよりも前の、古い時代の食べ物(お餅やキビ団子を思ってください)だといいます。月見に団子というのもその時代からの習慣かもしれません。

寒かった「お月見」

  私が今住んでいる家からは東に大阪平野を広々と見ることが出来ます。
  月曜はその大阪平野の向こうから上ってくる月を見たいと思っていたのですが、間に合いませんでした。帰りが8時前になってしまったので家に着いたときには、もうかなり高いところに月がありました。でも少し寒いかなと思いつつ食事の後にベランダでお月見をしました。思っていた以上に本当に少し寒かったです。そのかわり、後で飲んだ温かいお茶がおいしかったです。
  お月見というとすごく風流な気がします。そして風流といってしまうと時間や気持ちに余裕がないとできないような気もします。
  実は月曜は少し疲れて帰ったので最初はこんな風に思っていました。「昔の人はヒマだったから月を見て楽しむようなことが出来たのかなぁ。今日はそんな気持ちの余裕はないなぁ。でもとりあえずお月見の夜にいい天気になったんだから、それも朝のうちはあれだけの雨だったんだし、せっかくだからちょっと見ておこうか。」

月明かりの景色

  ところがベランダに出て月を見たり、大阪の夜景を見たり、月明かりに照らされた遠くの山を見たり、通り過ぎる電車を見たりしていますと、ちょっと気持ちが変わってきました。昔の人も決してヒマではなかったんだろうな、という気がしてきました。おそらく昔の人も毎日の生活のための労働で疲れていたのでしょう。気持ちや時間に余裕があったからお月見をしたのではなく、逆に気持ちや時間の余裕がなかったからこそ、月を見て、昼間とは違った月明かりの景色や遠くの山を見て、気分転換をしようとしたのかな、と思うようになりました。
  そんなふうに思いながら景色を見ていますと、すごく気持ちが落ち着いてきました。そうなると見えている景色が本当にきれいな景色に思えてきました。そしてその景色の中で毎日の生活を送っているんだという実感がわいてきました。何よりも私自身がその景色の一部なんだという気がしてきました。

創られた私たち

  私たちのように都会で生活をしていますと、普段は身の回りの自然の美しさに注意を払わないで生きていることがほとんどです。でもこんな時には景色や自然を身近に思うことが出来ます。
  先ほど読んだ聖書は天地創造の物語の一部です。4日目に太陽と月が創られたという話です。このとおりの形で天地が創造されたと考えることはできません。でも神が世界を創ったのだということを、とりあえず受け入れて読むと次のように書いてあります。
  神は何かを創った後、それを見て「良し」とされます。そして一日が終わり次の日になって、次のものを創られるのです。
  最後に、6日目に私たち人間が創られ、同じように「良し」とされます。
  私たちは実は神が見て「良し」とされた自然の一部です。それはすなわち私たちが身の回りの自然を大切にし、私たち自身を大切にし、お互いを大切にしなければならないということなのだろうと思います。
  今でも世界では様々な形でたくさんの生命が毎日のように失われています。テロや災害や事故だけでなく、ニュースにもならないどこかで失われています。ひとつひとつの生命は、それぞれに神が見て良しとされたものなのです。そこから考えると、理由や思想がどうあれ、人が他人の生命を奪ったり、おびやかしたりしてはいけないと、心底から思います。
  また私たちは、人の生命や平安が奪われることを見過ごしてはいけないと思います。その思いはなかなか実現することは難しいでしょう。それだけに、身近なところから小さな積み重ねを続けなければ実現しないのだと思います。

祈り

  御在天の父なる神様。
  私たち一人一人が、あなたによって創られたものであることを思います。
  あなたに創られたものとして、お互いを大切にしなければならないことを思います。
  そのことを私たちがいつも忘れずにいることができるように、守り、導いてください。
  主イエス・キリストの御名によって祈ります。
  アーメン。

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