Brother Thomas' Underground Chapel

こうして光があった(永眠者記念礼拝のメッセージとして)

   by Br. Thomas  11/08/2012

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聖書:創世記 1章1-8節 (新共同訳)

 初めに、神は天地を創造された。
 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
 神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」
 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。
 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。




神話に託して

 今日は永眠者記念礼拝に当たり、天地創造物語の冒頭部分をご一緒に読んでいこうと思います。本当は第7日まで全部読むべしなのですが、第2日以降は来週以降といたしましょう。
 創世記に書かれた天地創造物語が2つ在ることはみなさんよく御存知であろうかと思います。最初の物語は、7日にわたって天地創造が行われます。第2の物語は、様々なものが一気に創造されます。
 歴史学的あるいは聖書学的に割り切ったことを言えば、元々イスラエル民族はいくつもの民族の寄り合い所帯です。表向きはイスラエル民族はアブラハムの子孫となっておりますが、アブラハム・イサク・ヤコブの親子3代の物語をじっくり読みますと、むしろこれは3つの民族の物語であろうと見当がつきます。イスラエルの12部族も厳密に12であるかどうかは別としますと、複数の部族がイスラエルという民族を形成したのだ、と読めます。それぞれの部族がそれぞれの天地創造物語を伝えていたのでしょう。その中から2つの物語が今に残っているということでありましょうから、2つの物語を無理に調和させる必要はありません。2つ在る、それでいいのだと思います。

 さらに言えば、そのどちらもが古代の地中海世界あるいはオリエント世界の様々な民族の天地創造物語と共通するものをもっています。バベルの塔の物語やノアの洪水の物語も同様です。本当に聖書独自の物語になってゆくのはアブラハム物語あたりからです。有り体に言えば、天地創造からノアの洪水やバベルの塔あたりまでの物語は、後にイスラエル民族と呼ばれるようになる、古代オリエント世界の隅っこに暮らしていた、とある弱小民族の語り伝えた「神話」であるわけです。
 もちろん、神話だから軽く見ていいということではなく、神話に託してしか語ることの出来ない真理や神秘を伝えているのがこれらの物語です。天地創造物語に限定するならば、例えばわたしたちの時間感覚としての7日間で天地のすべてが造られた、と考える必要は無いわけです。その一方でわたしたちはキリスト者の信仰として、神の天地創造の業によって歴史が始まり、そしてやがて来る歴史の完成の時・歴史の終わりの時に向かって与えられた命の時間を歩んでいるのだ、と信じています。その創造の神秘について、始まりと終わりのある時間という真理について、私たちの命や生と死の神秘について、人間という存在の真理について、神話という形に託して聖書は私たちに語り掛けてくるのです。

神の言葉によって

 大風呂敷な話しはこれぐらいにいたしまして先ほど読んでいただいたところを見ていきましょう。
 
「初めに、神は天地を創造された」と書き始められています。現代人である私たちは、天地創造以前の世界はどうなっていたの?なんてついつい考えてしまいますが、そういう疑問を断ち切るが如くに聖書全体を貫く主題がここで宣言されます。理屈とか順序立てた思考などを飛び越えた宣言です。いささか悪口めくのですが、「世界は神が造ったんだ、文句有るか」という開き直りであるとも言えましょう。しかしそれだけに、創造の神秘、生命の神秘を、神秘として受け容れた上で私たちはどう生きるのか?を問われているのです。

 続く2節の部分は、具体的にイメージすることが大変難しいところです。もう少し先まで読みますと第2日に大空の上と下の水が分けられたと書かれております。裏返せば、この時点では分けられていません。それなのに水の面があったのか?などと考え出すとわけが判らなくなります。
 ただ、これは個人的な思い出話になりますが、
「闇が深淵の面にあり」という言葉を読むといつも思い出すことがあります。高校生の時に学年のキャンプで海に行きました。もちろん最終日は遠泳です。海岸から泳ぎ始めて沖合のブイを回ってまた海岸に帰ってくる、というよくあるコース設定であったと思います。沖へ出ますと、当然ながら海の底は見えなくなります。何も見えないと案外に深さを感じません。ところが、光が届くか届かないかの深さに岩頭が見えますと突然に深さを実感します。岩の裾の方が段々暗くなって見えなくなる、その様子が見えてしまうと海の底の深さと暗さを意識してしまうのです。慣れた人ならどうということはない光景なのでしょうけど、普段はプールでしか泳いだことのない私にとってそれは大変恐ろしい景色でした。
 日が沈んで夜になればあの海の底の暗さが水面にまで上がってくるのだと思いますと、この
「闇が深淵の面にあり」という言葉が私の中にスッと入ってくるように思います。

 考えてみますと、この天地創造物語を伝えた部族もあるいは海には余り縁のない人々であったのかもしれません。この物語に限らず旧約聖書全体を通して言えることですが、イスラエル民族というのはだいたいが海に縁の薄い民族です。厳密には調べておりませんが、海を舞台にした物語は出エジプト記にある葦の海の奇跡と大きな魚に呑まれたヨナの物語ぐらいしかないんじゃないでしょうか。預言者たちの言葉の中にも時折「海」が出て参りますが、山を語る時に比べますとどうもやはり抽象的に語っております。むしろ聖書のような形でまとまった文書は残っておりませんものの、サムエル記辺りでイスラエルと角突き合わすペリシテ人は典型的な海洋民族だったと言われています。海洋民族であれば海の恐ろしさと共に豊かさや美しさを語るのでありましょうが、海に縁の薄い民族であれば海を語る時に抽象的否定的になるのも致し方ないのかもしれません。

 ところで、この2節には大変重要な単語が出てきております。
「神の霊」です。神と神の霊はどう違うのかとか言い出すとまたややこしくなりますので、今日はそこには踏み込まないことにしまして霊という言葉だけ見ておきましょう。この言葉は聖書全体を通じて大変重要な言葉になります。
 霊と訳されている言葉は、ヘブル語ではルーアッハ、ギリシャ語ではプネウマです。ヘブル語とギリシャ語という全く系統の違う言語でなぜそうなったのかは分からないのですが、どちらも日本語で漢字にした時に、霊という意味以外に風あるいは息という意味を持ちます。
 ですからこの箇所は、神の風が、あるいは神の息が、水の面を動いていたと訳すことが可能です。もう一歩踏み込めば、神の霊があるいは神の息が水の面を波立たせていたと読んでも良いでしょう。また、日本語でも息を引き取るなどという表現がありますけれども、ルーアッハあるいはプネウマにしても命という意味合いを含み持っております。
 天地創造物語の前半は、深淵という混沌(カオス)から天地が分けられて整えられていく、いわばカオスからコスモス(秩序)へという一面をもっております。同時に、深淵の面は単なる混沌だったのではなく、そこには今から働きかけようとしている神の息吹がすでに存在していたのでした。

 そして
「光あれ」という神の言葉があり、その言葉の通りに成ります。光が造られます。
 日本にも言霊という信仰があったことは御存知でありましょう。古代社会では洋の東西を問わずどこでも共通して持っていた考え方でした。簡単に言えば、発せられた言葉自身が力を持つという思想であり信仰でありました。
 現代社会のようにマスメディアを通じて言葉が洪水のように押し寄せていては言霊も何もあったものじゃないのですが、テレビもラジオもマイクもメガホンもない時代、遠くまで声を響かせようと思ったら自分自身が響く声を出すしかなかった時代が古代でありました。それだけに、言霊信仰は、自分が発する声を大事にした、あるいはよく響きよく届く声をもつ人を重んじた、という大袈裟に言えば部族の生き残りの為の生活の知恵でもあったのでしょう。
 もっとも言霊と言いましても、これまた古代日本と古代イスラエルで全く同じというわけにはいきません。言葉自身に霊的な力を持たせようとした日本と、神の言葉に力を持たせようとしたイスラエル、という類型化が出来るような気がします。創世記に話を戻しますなら、神が発した言葉だからこそ、そのように成ったのだという信仰が見えてきます。そして神が発した言葉によって造られたものは、神の目から見て良しとされます。神の言葉があり、造られたものが良しとされる手順は、天地創造のあいだ6日にわたって(本当は第7日を含めての天地創造ですが、とりあえず6日間)繰り返されていきます。

 そして夕べがあり、朝があります。在ったという訳と成ったという訳があります。これもみなさん御存知のように、イスラエルの暦の一日はイスラムの暦と同じように日没から始まります。比較の為に確認しておきますと、日本の旧暦は明け方(暁)から一日が始まります。だから赤穂浪士の討ち入りは12月15日でなく14日となる、なんてことはあらためて言うまでもないかもしれません。
 闇が世界を覆う時間が先にあり、光が充ちる時間が後にある、というおおまかな時間の流れから言えば、天地創造の第1日は日没から始まる暦と同じになります。日没から始まる暦は天地創造以来の歴史を持つ暦なのだ、と古代イスラエルの人々は考えておりました。この夕べがあり、朝があった、というくだりも天地創造のあいだ6日にわたって繰り返されていきます。

あたえられた命

 さて、旧約聖書のヘブル語本文が固定されるのは、ルカ福音書やヨハネ福音書が書かれたのとさして変わらない時代です。文字に書かれたのはもちろんもっと古い時代であり、それ以前に口伝で伝えられた時代も長くあるのですが、ユダヤ教のしかるべき人達がオーソライズしたヘブル語本文がまとめられたのは紀元1世紀の終わり頃と言われています。
 それ以前の状況は日本昔話を思えば容易にイメージできます。落語でもいいでしょうか。江戸落語と上方落語では同じ噺が微妙に違って伝えられ、またそこに演じる噺家の工夫が加わります。
 イエスの時代、あるいはその少し後のヨセフスの時代には、例えばこの創世記第1章の天地創造物語にも複数のバージョンがあったようです(70人訳)。地方によって違ったりしたのかもしれません。あるいは語り手がかなり自由に脚色しても赦されたようです(ヨセフス)。
 せっかくですから、実例として70人訳とヨセフスの伝える天地創造物語第1日を読んでみます。聞きながら味わってみて下さい。

 はじめに、神は天と地をつくった。地は見えるものでも形あるものでもなく、闇が深淵の上にあり、神の霊が水の上を漂っていた。神は言った。「光が生まれよ。」すると光が生まれた。神は光を見た。美しかったからである。神は光と闇をはっきりと分けた。神は光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。夕方となり、ついで朝となった。1日。(秦剛平『七十人訳ギリシャ語聖書 Ⅰ 創世記』河出書房新社)

 はじめに神は天と地をつくられた。地は見ることができなかった。それはあつい闇にかくされ、上から神の霊がその上に置かれていた。そのとき神は光に、「あらわれよ」と命じられた。光があらわれると、神はそれを構成するもの全体を調べて、光を闇から分けられた。そして後者を夜と名付け、前者を昼と呼び、さらに光の出現するときと休止するときをそれぞれ朝と夕と名付けられた。
 したがって、これは第1日であるべきだが、モーセはそれを1日と呼んだ。
(後略)(秦剛平『ユダヤ古代誌 Ⅰ』ちくま学芸文庫)

 バージョンが違ったり省略されたり手を加えられたりしていても、共通して語られていることがあります。神が天地を創造されたこと、神の言葉の力によって創造の業が行われたこと、そこから歴史が始まったこと。私たちもまた、神の創造の業によって命を霊を息を与えられたこと。

 今日の礼拝をわたしたちは永眠者記念礼拝として守ります。わたしたちの人生の先達であり信仰の先達である方々を思い起こし記念する礼拝です。午後にはTさんの納骨式が行われます。Tさんは、お元気な頃には役員として長く教会を支えてくださいました。わたしたちはその祈る姿と言葉から多くのことを学び、その奉仕の働きに力付けられ、信仰の歩みを続け、教会の歴史を重ねて参りました。
 そのTさんも、代々の先達の方々も、そして今も生きている私たちも、天地創造の業の一環として神から命を与えられたのです。それは、歴史の終わりの日・復活の時に新しい命を神から与えられるという希望でもあります。そのことを心に刻みながら、与えられたこの地上での命を、誠実に心を込めて歩んで参りましょう。与えられた命を感謝し、神を賛美する日々を送って参りましょう。



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