【わたしにも心というものがあるのだ】マルコによる福音書1章40−45節

2021年9月5日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし

聖書の言葉……マルコによる福音書1章40-45節(新約聖書:新共同訳 p.63、聖書協会共同訳 p.62)

 

重い皮膚病/規定の病

 おはようございます。今日は「わたしにも心というものがあるのだ」という題名でお話をしようとしています。「わたしにも心というものがあるのだ」と心の中で叫んでいた人の物語です。

 今日読んだ聖書の箇所で、「重い皮膚病」という言葉が出てきました。この「重い皮膚病」というのが、今で言う何の病気なのかはわかっていません。

 この部分は、いつか昔にもお話したことがあるかもしれませんけれども、非常に何度も翻訳がやり直しになったところで、この新共同訳聖書では「重い皮膚病」になっていますけれども、これは改訂されてから「重い皮膚病」になったんで、初版では「らい病」になっていたんですね。

 「らい病」というのは、日本ではハンセン病の蔑称(差別的な呼び方)ですけれども、ここを「らい病」と訳していたのは、これは明治時代からそうで、これはハンセン病であるとは特定できないのに、ハンセン病のことだ(らいのことだ)と誤解されて、誤解されたまま今からおよそ30年前、1988年の新共同訳まで来ていたんですね

 けれども、その後、1996年に「らい予防法」という法律が廃止されたとき、その時からもう日本では「らい」とか「らい病」という不快語はやめようと。「ハンセン病」という呼び名に統一しようということになりまして、その年に出た新共同訳の第2版から、この聖書の箇所は「重い皮膚病」になったわけです。

 でも、ハンセン病というのは日本では長いこと「強制隔離しなければならん」という偏見から、山奥や橋のかかっていない島に作られた療養所に強制的に収容されて、殺されたりはしませんでしたが、強制的に断種手術(子どもができないようにする手術)を施されたり、死ぬまで出られないという絶滅収容所のような扱いをされてきたわけですね。

 特効薬が発見されて、「隔離しなくても通院で治せますよ」ということに国際社会がなっていったのに、その後も50年以上「らい予防法」で強制収容し続けるという政策を取り続けたんですね。

 それで、「これは重大な人権侵害じゃないか」、「憲法違反じゃないのか」ということで、「らい予防法」が廃止された2年後から国家賠償を求める訴訟が起こされまして、その3年後に国は負けています。

ツァラアト

 そういう出来事の起こっている中で、聖書が長いこと、ここを「らい病」と訳してきたこと。ハンセン病ではない病気を「らい」と呼んで誤解を招いてきたことの罪は重いだろうと。そして、それを「重い皮膚病」と変えたところで、その罪をちゃんと悔い改めたことになるのかという問題提起がなされてきました。

 そもそもこの単語は「ツァラアト」というヘブライ語なんですけれども、「ツァラアト」というのは、別に皮膚の変化だけではなく、壁のシミや革製品の表面の変化にも使われる言葉です。それを、古代のユダヤ人は「汚(けが)れている」、つまり神から離れた証拠だという風に考えたんですね。そして、「汚れているからこれは『らい病』だ」と差別的な考え方のまま訳してきたという問題があるわけです。

 でも、ハンセン病は汚れた病気でもないし、皮膚病でもないし、「重い皮膚病」ではその誤解が解けるとも思えないので、「ツァラアト」という言葉をカタカナで書けばいいじゃないかということで、よく福音派の方では使われている新改訳聖書の2017年版では「ツァラアト」になっています。

 ちなみに、3年前に出た最新の聖書教会共同訳では、ここは「規定の病」という言葉になっています。これは、ヘブライ語聖書(旧約聖書)の方に汚れたものとして「規定されている病気」という意味で、そう書くことにしたというだけのことなので、これも問題の解決になっているとは言えないんですね。

 それで、聖書学者の間では、これはこれまでの差別の歴史をあえて隠さずに痛みとして覚えるという意味で、そして実際、イエス様の時代にはそうやって汚れた者として虐待を受けていたという事実も踏まえて、あえて「汚れ病」という訳し方をしてもいいんじゃないかという考えを唱えられている方もいらっしゃいます。

 要するに、ここの聖書の箇所で、ひとつ私達が認識しておかないといけないことは何かというと、特定の病気を患った人を、「汚れている」と言って差別する風習が、古代のユダヤにはあったということ。それがここの物語では書かれているんだということ。

 そしてそれは、古代の人々の風習というふうに片付けるわけにはいかない。特定の病の人を、まるでその人が汚いものみたいにとか、罪を犯したみたいにいじめたり、差別したりする。それは今でも私達の社会の中で、コロナ禍の中で続いている。現在の問題でもあるでしょ、ということです。そういう前提でこの物語を読まないといけないんだよということ、前提として申し上げたいと思います。

ツァラアトの男、イエスと出会う

 さて、このツァラアトという、よくわからない病気を患った人は、汚れてしまった人間だと見なされていました。汚れた人間に近づくと、その汚れが移るとされて、非常に恐れられて、忌み嫌われて、町や村から追放されました。そして、町外れの寂しいところで野宿をするとか、あるいはどこかに洞穴があったら、そこで雨露をしのぐとか、そういう境遇に追いやられていたんですね。

 しかし、そのままでは死んでしまうので、何らかの形で食べ物を手に入れないといけません。そこで、町や村に戻って物乞いをしないといけなくなります。「哀れなツァラアトの者でございます」と言って、何か食べ物をもらえないかとお願いして回らないといけません。

 そして、不用意に人に近づくと恐れられて逃げられたり、石を投げつけられたりする可能性がありますので、自分から「私は汚れた者です! 私は汚れた者です! どうか近づかないでください! けれども何か食べ物を恵んでください!」と叫びながら歩いてゆかなくてはならないという有様だったんですね。

 ところがそこにイエス様一行が通りかかります。

ツァラアトの患者への扱い

 行く先々で病気や障がいを治してゆくイエス様の噂は、このツァラアトを患った人にも聞こえていたようですね。特に、治るはずのない病気を直すことが出来る人が現れたそうだという噂だったら、当然敏感になってもおかしくないです。

 そして、いざイエス様一行が町に入られた時に、この人は人の目もはばからずにイエス様の所に出て来て、ひざまずいて、「お望みならば、私を清くすることがおできになります!」と言ったんですね。

 この時のこの人の気持ちはどういうものだったでしょうか。

 この人は、周囲の人にとっては、ただの汚れた人間、ただの呪われた存在であって、それ以上でも以下でもない奴。できれば関わりたくないし、どちらかと言えば世の中から消えて欲しいと思うような存在。そういう扱いです。

 先程、このツァラアトというのはハンセン病ではありませんと言いましたが、このツァラアトにかかった人の扱われ方は、ハンセン病の患者の扱われ方と同じです。通常の人間社会で生きることは許されず、強制的に排除され、誰の目にも触れない所に押し込められる。そういう扱われ方をされます。

 この人にも家族があったかもしれませんし、仕事もあったかもしれません。病気になる前は人間的な生活をしていたかもしれません。しかし、そういう生活から一気に強制的に引き剥がされて、人の住むところから追い出され、その上、人間ではない化け物であるかのような扱いを受けるわけです。

光明園家族教会

 私、学生時代からしばらく、そして今の学校に就職してからもボランティアの生徒らと一緒に、岡山県の牛窓の近くにあります、長島という島の邑久光明園というハンセン病療養所に通っていたことがあります。

 今は新しく発病する人はいませんし、「らい予防法」も廃止されたので、療養所に入ってくる人はもういませんから、超高齢化していて、天国に召される人が出るたびに人数が減っていき、もう数えるほどしか入園者の方はいらっしゃいません。

 けれども、私の学生時代というと30年ほど前なので、まだ元気な入園者の方もたくさんおられました。そして、ワークキャンプをして、入園者の方々と一緒になって園内の道路の補修工事とか、花壇づくりなどをして汗を流したり、園内の教会で礼拝をしたり、強制隔離の時代のお話を聴いたりしていました。

 園内には寺町という一角がありまして、いくつかの種類の宗教の集会所みたいな家が並んでいる所がありました。といいますのは、この療養所に入れられる人は、もう生きて療養所から出ることはできないわけです。

 しかも、まだ特効薬が無い頃は「らい」にかかったら数年以内に死ぬとされていたので、まずはお葬式のための宗教を選ばされるというんですね。そして、この園から出るのは、死んだ時に火葬場で焼かれて、煙になって初めてここから出られるんやと。そんな風におっしゃっていました。

 それで、寺町には、浄土真宗、真言宗などから金光教まで、「お寺」というような立派なものではなくて、ただの平屋の家のような集会所がいくつか並んでいるんですね。そしてその寺町の中心に納骨堂があります。納骨堂の周りを集会所が囲んでいるような、そんな場所です。

 そして、キリスト教の教会は、その寺町にも入れてもらえないで、全く寺町とは反対の場所にある、療養所の一角の丘の上にありました。「光明園家族教会」という教会でした。

 療養所に入れられる時に、「何教がいい? 好きなのを選べ」と聞かれて、「ああ、特に何でもいいし、じゃあキリスト教にでもしとこうかな」と適当に言ってみたのがきっかけでそのまま教会に通うようになった。そのまま教会に通っている間に信仰を持つようになった。そんな人が何人もいらっしゃいました。

 でも、私が出会った信徒さんは、みんな熱い熱い祈りを捧げる、とうてい私なんか足元にも及ばないような、熱心な信仰の持ち主の方ばかりでしたね。

「心」さん

 その光明園で出会った人に「心さん」とおっしゃる方がいらっしゃいました。「なになに・心」という名前で、苗字は伏せておきますけれども、とにかく下の名前が「心」という方です。

 本名ではありません。療養所に連れて来られた時に、名前を捨てた人がたくさんおられるのですね。家族がいた人は特に、名前から家族の身元が割れたら、その家族も差別される。住んでいるところでいじめられたり、避けられたり、石を投げられたりする。家族に迷惑はかけられないということで、名前を変える人がたくさんいるわけです。

 じゃあ、どういう名前にするかというと、ほとんどの人は適当です。たとえば、徳島出身だから「島徳」という名前にしとこうか、とかそういった具合です。それで、先程の人も、架空の苗字と下の名前は「心」にしたそうです。

 「他にも『心』という名前の人は何人もおるよ。やっぱり心は大事やからな」とおっしゃっていました。

 その人は笑いながら言ってましたけれども、そこに至るまで、どれほど泣いてきたかなと思うんですね。その時でも笑いながらも心の中では泣いていたかもしれません。

 本来なら、「らい予防法」も廃止され、病気も完全に治って、いつでも一般社会に戻っていいんですけれども、もう家族にも親戚にも縁を切られて、戻ってきてほしくないと言われて戻れず、園内で死ぬしかない。そういう扱いを国家ぐるみでやられていた。人間として扱われてこなかった。

 しかし、「私にも心というものがあるのだ」と。その「心さん」の名前からそのような思いを私は読み取りました。

私にも心というものがあるのだ

 聖書の話に戻りますと、このツァラアトの患者の人が目の前にひざまずくのを見て、イエス様は「深く憐れんだ」と書いてあります(マルコ1.41)。これは皆さんここで何度もお話しているので、ご存知の方も多いと思いますが、「断腸の思い」です。内臓がちぎれるような思いという意味ですね。

 いくつかの英語訳の聖書では、この「深く憐れんだ」という所に「compassion」という言葉を使っています。「passion」というのは「受難」という意味があります。イエス様の十字架の受難も「パッション」と言います。「com」というのは「一緒に」という意味がありますので、「compassion」というのは「一緒に受難する」、「一緒に苦しむ」という意味になります。

 「一緒に苦しむ」というのは、例えばドイツ語でも「Mitleide」という言葉もありましたよね? 「mit」は「一緒に」で、「Leide」というのは「苦しみ」です。これも一緒に苦しむことを指します。

 日本語ではこれにあたる単語がありません。だから「憐れみ」とか「共感」と訳されることが多いです。そこでキリスト教会の中では、あえて言うならば「共苦」という言葉が慣習的に使われる場合もあります。

 イエス様がここで「深く憐れんだ」というのは、実は「一緒に苦しんだ」ということです。

 「誰もが私のことを呪われた存在として忌み嫌って追い返す。しかし、私も人間だ。私にも心というものがあるのだ」と心の中で叫んでいるこの人の苦しみに、イエス様ご自身も寄り添って一緒に苦しんだ。そしてこの「汚れ病」の人の体に素手で触れたということです。

後先のことは考えず

 イエス様が触れた結果、病は去りました。しかし、イエス様は不思議なことを言います。「誰にも何も言うな」というんですね。ギリシア語の原文を読んでも「誰にも、何も」と同じ語源の単語で繰り返して強調されています。なんでイエス様は「誰にも何も言うな」と言ったんでしょうか。

 けれども、この癒やされた人は出て行って「大いにこの出来事を触れ回った」そうです。この「触れ回る」という言葉は「宣教する」という意味でも使われる言葉です。逆に言うと、私達がイエス様のことを宣教するというのは、イエス様のことを「言いふらす」ことなんですね。

 そして、イエス様はこの人が宣教した結果、公然とは町には入れなくなってしまって、外の寂しい所にいるしかなくなったと書いてあります。

 これ、多分このツァラアトの人と関わったおかげで、イエス様自身が町から追い出されて入れなくなってしまったということなんではないでしょうか。

 「誰にも何も言うな」と言ったのは、イエス様自身が町に入れなくなったら困るから、「なあ、おまえさん、わしが町に入れなくなったら困るから、このことは誰にも言うなよ」ということだったのではないでしょうか。

 ということは、イエス様にとっても、この「汚れ病」の人に触れてしまったというのは、「私も町に入れなくなるかもなぁ。わしも汚れが移ったと言われるかもなぁ」と後先のことを考えるよりも前に、思わず触れてしまった。そして、「おまえさんに治ってほしいんじゃ!」と言ってしまったということではないかと思います。

 そして後になってから、「あんなことをしてしまったけど、誰にも言うなよ」と付け加えたわけですね。

このような愛で愛されている

 イエス様というのは、そういう人の苦しみに直面した時、後先も考えずパッと行動してしまう人だったんじゃないか。自分のことも忘れて、「あ! この人を見捨てたらあかん!」と直感した瞬間にその共感・共苦の感情で動いてしまう直情的な人だったんじゃないか。あれこれ考えるより前に、勢いで動いてしまう人だったんじゃないか。

 それがイエス様の愛し方だったのではないかと思います。

 このような愛で、イエス様は生前人を愛し、救われたし、今も私達が苦しみのさなかにある時に、矢も盾もたまらず、思わず手を差し伸べて、一緒に苦しんでくださる。

 絶対に苦しむ人を一人ぼっちにはしない。自分のことなどほっといてでも、私に触れてくださる。そういう愛で、私達は愛されているのだということを、信じたいのであります。