『サピエンス全史』ユヴァル・ノア・ハラリ著(河出書房新社、2016、Kindle版上下合本¥3,960-)

一人のキリスト教徒から見た人類史概観に対する感想

私は個人的に人間と宗教の関わりについて考えるのが好きなので、人類の起源と宗教の始まりについて読むのは楽しかった。

特に、ホモ・サピエンスがホモ・サピエンスたる存在になり、他のホモ属との違いが顕著になったのは、何らかの偶然のきっかけから、サピエンスの脳が「想像力」を発達させたことによるという点は興味深かった。

想像力は、ここに無いものの存在を思い浮かべることができる。そして、最古の人類は森羅万象に生命力を感じていた。それが原初の宗教心だ。

ということは、宗教心(見えないものを想像する力)サピエンスをサピエンスたらしめた原動力である。

さらにサピエンスは、その想像力を用いて、自分たちの集団をまとめる共同の物語を作り出した。それはいわゆる「虚構」だが、人はこの虚構の中を生きることで、自分が直接知り合った人以外の人たちとも協力し、大きな力を発揮することができるようになる。それがネアンデルタール人など他のホモ属を打ち負かす戦闘力になったというのだ。

ということは、つまるところ、神話を共有することのできる想像力がサピエンスを人類を生き残らせた。宗教心がサピエンスを唯一のホモ属にしたのだ。

それは、宗教が必ずしも優しく慈愛に満ちたものではないことも意味する。むしろ宗教は、まずは共同幻想によって、見ず知らずの同属を団結させるために使われたのであり、それがサピエンスを最も戦闘力のある集団にしたのだ。

現在、いわゆる狭い意味での「宗教」は衰退の一途を辿っているが、虚構の物語を生きるというサピエンスの特徴は変わっていない。例えば資本主義や人権思想などはその最たるものだ。資本主義も人権も、人間の歴史の中ではごくごく最近にできた「虚構」だ。

このようなことを読み進むにつれ私は、良きにつけ悪しきにつけ、人は物語を生きる存在なのだと改めて確信した。そして、自分は資本主義や人権思想と共に、キリスト教という虚構を生きている。

キリスト教という虚構を生きることが善い悪いとは一概に言えないが、できれば平和で安全で喜びを共有できるような物語を生きてゆきたいと願う。

それはこれまでのキリスト教が歩んできた歴史の実態とは随分と違うものかも知れない。しかし、もしそうなら、できればこの物語の筋書きをここから変えてゆけないものだろうかと夢想する。

『サピエンス全史』によれば、近々サピエンスはそのテクノロジーによって、サピエンスの次の生物を作り出す可能性が高い。その時、その新しい生物はサピエンスとは全く別の精神構造である可能性も高い。そうなるとその生物たちにとっては、既存の狭義の「宗教」など全く存在意義は無いだろう。

それでも、今生きている私は、物語を生きざるを得ないサピエンスである。可能な限り、今生きているこの人生を、少しでも生きていてよかったと思える物語を紡いでみたい。

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