
▼聖書の言葉【新共同訳…マルコによる福音書15章21-32節】
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所-その意味は「されこうべの場所」-に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、
その服を分け合った、
だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」
一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
▼キレネ人シモン
レントも後半に入りまして、イースターまで2週間となりました。今日はイエス様のご受難の瞬間のお話をしたいと思います。
今日お読みしました聖書の箇所の最初(マルコによる福音書15章21節)見ますと、「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」という人物が登場していますね。この人は突然ローマ兵に「おい、お前! こいつの十字架を担げ!」と命令されて、もう傷だらけで十字架を担ぐ力も無くなってしまったイエス様の十字架を担がされます(マルコ15.21)。
ここで「アレクサンドロとルフォスの父でシモン」という名前が妙に具体的なのが気になりますね。これは私の推測ですけれども、たぶんこの父親のシモンと息子のアレクサンドロとルフォスという名前が、ここにこんな風に具体的に出てくるのは、この3人が初代教会でよく知られた名前だったからでしょうね。この3人はイエスの十字架の出来事を目の当たりにしただけではなく、そのイエスの十字架に一緒に参加することになってしまった! そのことによって、彼らはイエスを信じる者たちの仲間に入ったのでしょう。
この父親のシモンという人は「キレネ人」であると書かれています。「キレネ」というのは現在のキレナイカという都市でエジプトの西隣にありますリビアの地中海岸のエジプト寄りにある、昔は非常に栄えた都市だったようです。
そんなキレネ人シモンをローマ兵が顎一つで「おい、こいつの十字架の担げ!」と命令できたのは、おそらくキレネ人がアフリカ系だったからだろうと私は思います。つまり黒人だったから。そこにいた人たちの中でも肌の色の違う彼ら親子3人を見て、即座にローマ兵は「こいつにやらせよう」と判断したのではないでしょうか。
そのことがこの3人の親子がイエス様との決定的で衝撃的な出会いとなります。
▼十字架
シモンに手伝ってもらって、ようやくゴルゴタの丘に辿り着いたイエス様は、没薬を混ぜたぶどう酒を飲むことを拒みます(15.23)。要するに鎮静効果のある薬を混ぜた酒によって、苦痛を軽減してやろうというわけですが、それによって苦しみは余計に長引きます。これを拒否したということは、イエス様は「もうさっさと殺せ!」という心持ちだったのかもしれません。
そしてイエス様は十字架につけられますが、その時、兵士たちが服を分け合ったと書かれています(15.24)。ここの部分は私たちの日本語の聖書も、まるで詩の言葉でも書いているように改行していますけれども、これは詩編22編19節にある、「わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」という言葉が、こうして現実になった……とマルコが言いたいからなんですね。ここに限らず、実は受難の物語は詩編22編の言葉があちこちに散りばめられながら描かれています。
▼ホサナ
十字架につけられたイエス様の頭の上には、罪状書きという札が木に打ち付けられていました。ここには通常は、「ローマ兵殺し」とか何とか、なんでこの人が処刑されるのかが書いてあるのでしょうけれど、ここには「ユダヤ人の王」と書かれてあったとマルコは報告しています。「こいつはユダヤ人の王だから殺す」と言っていることになります。
この十字架刑を命じたのはローマ総督のピラトなので、彼が罪状書きにこう書くよう命じたのでしょうけれど、一体どういう意図で、こういう奇妙な罪名を書かせたのでしょうか。
ここにはピラトの超一流の嫌味、または皮肉がこめられていると言えます。
イエス様がエルサレムに入られた時、多くの人々が「ホサナ、ホサナ」と言って歓迎しました。「ホサナ」というのは「救い給え」「救ってください」という願いの叫びです。みんなイエス様に「救ってください」と叫んでいたのです。
人々が求める救いとは一体何だったでしょうか。人々が求めているのは「メシア」すなわち「油注がれた者」でした。油を注ぐというのは、古代のユダヤの王が任命される時の儀式です。つまり、メシアを求めるというのは、王を求めるということだったのですね。まさに「ユダヤの王」が現れることを求めていたわけです。
▼夢と消えた独立
では、この時代のユダヤ人が置かれている社会状況を考えますと、当時のユダヤ人はローマ帝国に占領され、支配され、ローマへの人頭税を払わされ、もちろん民族自決権はありませんでした。これは、自分たちが神に選ばれた特別な民であるという自覚を持っているユダヤ人には耐えられないことであったと思われます。
特にこの紀元30年ごろ、イエス様の時代というのは紀元1世紀前半ですけれども、実は紀元前2世紀半ばからイエス様が生まれるたった40年ほど前まで、ハスモン王朝というユダヤ人の独立国家があった時代があったんですよね。
その辺のことは、実は私たちプロテスタントの聖書には書かれていませんでして、カトリックが正典にしている「旧約聖書続編」ですね。この中にある『マカバイ記』という書物に書いてあります。
さて、紀元前2世紀といえば、ダビデ・ソロモン王朝から800年くらい経ってるんですね。みんな「ダビデの子」と呼ばれる「メシア」を待ちわびて、ユダヤ人王国を夢見てたわけです。その夢が800年ぶりにかなったのがイエス様の生まれる160年ほど前です。その時のお祝いを今でもユダヤ人は「ハヌカー」と言ってお祝いしているくらいです。
ところがそのユダヤ人国家の夢はイエス様の生まれる40年ほど前に、潰れてしまうんです。そして潰れた後、ローマに迎合して政権を握ったのがヘロデ大王で、そのヘロデ大王の時代にイエス様が生まれた……という流れです。
▼ユダヤ人の王
ということは、ユダヤの一般人としては、夢に見ていたユダヤ人国家が露と消えたのが、ついこの前、といった感覚でして、「ローマ帝国が憎い!」「ユダヤ人国家をもう一度!」「今こそユダヤ人の王、メシアを!」という空気が蔓延していたんですね。
しかもタイミング的にもイエス様がエルサレムにやってきたのは過越の祭りが近い時期です。この過越の祭りというのは「ぺサハ」と言いまして、さっきの「ハヌカー」と同じように盛大にお祝いされますけれども、これは、モーセに率いられたユダヤ人の先祖がエジプトを脱出して自由を得たことを記念するお祭りです。ユダヤ人がエジプトの支配から独立して自由を得たことをお祝いする祭りですから、ユダヤ人が「独立したい! 自由を得たい!」という熱烈な思いが最高潮に盛り上がる時期ですね。
そこにイエス様がやってきた。「あのガリラヤで病気を治し、貧しい人と一緒に食事をし、神の愛を説いてきた先生がやってくるぞ!」「この方ならメシアとしてユダヤを変えてくれるかもしれない!」「あのローマを追い払って、再びユダヤの独立と自由を勝ち取ってくれるかもしれない!」
そこで、人々はエルサレムにやってきたイエスに、「ホサナ、ホサナ(救ってください、救ってください)!」と言って、「メシアになってください、ユダヤ人の王になってください!」とお願いしていたわけです。
▼イエス様には失望いたしました
結論から申しますと、イエス様はそういう民衆の期待を完全に裏切りました。
彼がやったことで勇ましいことと言えば、エルサレムに来て真っ先に神殿に行って暴れたくらいですね。でも、それもローマに対する反乱ではなくて、ユダヤ人であるイエスがユダヤの神殿で暴れたという、ほとんどエルサレムの一般人にとっては何の意味もない、ローマ人から見れば更に意味不明なユダヤ人同士のいさかいです。そしてあとはユダヤ人同士、祭司とか律法学者と論争をやってるだけ。
一番決定的だったのは、マルコの12章13節以下に書いてある、「皇帝への税金」の問答だったでしょうね。ここで、ファリサイ派やヘロデ派の人たちがイエス様に「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないでしょうか」と質問されています(12.14)。
これに対してイエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えました(12.17)。これはユダヤ人の愛国主義者にとっっては許せない一言でした。ここで、イエス様は皇帝への税金を否定しなかったんですね。「皇帝のものは皇帝に返せ」と。つまり、「皇帝の像と名前が刻んである貨幣は皇帝のものだ」と言っているわけですから、ローマ皇帝に払う税金を肯定していると考えられても仕方がない。これはユダヤ人一般を怒らせたと思います。
みんなナザレのイエスに失望しました。彼はユダヤを救ってくれない。それをみんな確信しました。「可愛さ余って憎さ百倍」とも言いますが、期待していただけに、ナザレのイエスへの怒りは爆発しました。
▼侮辱と怒り
ピラトが罪状書きに「ユダヤ人の王」と書かせたのは、そんないきさつを踏まえてのことだったと思われます。彼は、「ユダヤ人の王になってくれるかもしれない」と期待をかけられたイエスを侮辱し、またそんな期待をかけたユダヤ人民衆を馬鹿にする意味で、「ユダヤ人の王を十字架にかけてやったぞ」と言っているわけです。
怒り狂っている民衆は、「頭を振りながらイエスを罵った」と記されています(15.30)。「十字架から降りて自分を救ってみろ!」。みんながイエス様を侮辱します。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」(15.31-32)。
これ以上無いというほどの侮辱。と同時に、「メシア、イスラエルの王」と罵倒している側の人々も、客観的に見ると実に情けない。哀れです。自分たちが「メシア、イスラエルの王」と期待していた男を十字架にかけられて、その男に怒りをぶつけているんです。
侮辱された民衆が、一人の男をスケープゴートにして更に侮辱する。このどうしようもなく情けない、救いようのない状況、これがイエス様の十字架です。イエス様はこんなにひどい有様で殺されてゆきました。
この時のイエス様が何を思っていたのでしょうか。
▼この死に意味はあるか
このように殺されてしまったイエス様。イエス様は何のために殺されたのか? イエス様の死に何の意味があったのでしょうか? そもそも意味などあったのでしょうか?
それを思うのがレント(受難節)ですから、それぞれの心において、イエス様の死に様を思い起こしながら、その意味を自分なりに探る。そんな風にこのレントの季節を過ごしたいと思います。