【愚か者のやぶれかぶれ】

2021年5月19日(日)枚方くずは教会・徳島北教会 合同礼拝宣教/説き明かし

「愚か者のやぶれかぶれ」

▼聖書の言葉【新共同訳…コリントの信徒への手紙(二)10章9-11節】

 わたしは手紙でもあなたがたを脅していると思われたくない。

 わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。

 そのような者は心得ておくがよい。離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。

▼手紙による礼拝と電気信号による礼拝

 おはようございます。今日はこちら大阪府にある枚方くずは教会と、徳島県にある徳島北教会とのオンライン合同礼拝です。今できる限りの技術を使って、こうやって遠く離れた場所でも、一緒に礼拝をすることができる時代になりました。

 先端技術を使っての礼拝の話をする時に、私はよくパウロの手紙を引き合いに出しますけれども、パウロも遠く離れた教会に対して、当時最先端のメディアであった、パピルスに書き込んだ手紙を使って、連絡し、宣教を行いました。

 もちろん、手紙というのは、今とは比べ物にならないほど時間がかかる通信手段です。届くのに何日も何週間もかかります。けれども、単なる口伝えの話よりも圧倒的な情報量を、しかも正確に伝えることができます。

 そして、このパウロの手紙による宣教/伝道を支えたのが、そのメディアを支える経済力、すなわち献金でした。

 当時のパピルスという紙は相当高価なもので、一説によれば、今の値段で1毎5000円ほどはしたと言います。それを何章も、何ページもかけて書くために費やしてゆきます。

 しかも、当時の手紙というのは、筆記者といいまして、手紙の差出人が話した言葉を書き取る人がいます。いわゆる「口述筆記」というものです。そもそも文字を読み書きできる人が少なかったこの時代に、口述筆記ができる教育を受けた筆記者を雇うことができる経済力がパウロにはあったということです。そして、それはパウロ自身もテント作り職人の収入もあったでしょうが、各地の教会の献金によっても支えられていたと考えられます。

 つまり、パウロという人は、それだけ経費を食う宣教者であったと言うこともできます。パウロは高価なものではあっても最先端のメディアを、イエスの福音のために使い尽くすという方法を取る人だったということですね。

▼コリント教会とパウロ

 さて本題に入ります。

 今日お読みいただいたコリントの信徒への手紙(二)の10章から最後の13章までの部分は、いわゆる「涙の手紙」と呼ばれているところです。

 実は、コリントの信徒への手紙(二)というのは、5つの手紙が編集されて1つの手紙であるかのようにまとめられているというのですね。この「涙の手紙」はその一部分なわけです。

 パウロとコリントの信徒の集まり/コリントの教会との関係は、かなり微妙なものであったようです。パウロがコリントに教会を設立した時はよかったのですが、パウロがその地を離れてから、色々な問題がコリント教会に起こります。

 まず、コリントというのは、非常にギリシア・ローマ的な風習が強く、神殿娼婦という性行為を伴うような儀式を執り行う巫女さんのような人たちが1000人は住んでいたという言い伝えもあるくらいで、性的なことについては割とおおらかというか。まあパウロ流に言えば、「みだらな」風潮が蔓延していた。そしてコリント教会の人々の間でも、「みだらな」行為が行われ、性倫理が乱れていたということがあったようなのですね。これにパウロはかなり怒っています。

 それから、パウロのライバルの使徒たちがコリント教会に干渉しています。特にアポロという宣教者が、コリント教会には大きな影響を与えていたようで、コリントの人々は、「私はパウロ派だ」、「私はアポロ派だ」、「いや、私はペトロ派だ」とか、分裂し始めていたようなのですね。これにもパウロはかなりヤキモキしている様子が手紙に伺えます。

 そして、更にパウロを苦しめたのは、パウロ自身の評判が非常に悪くなった。パウロという人の使徒としての資格や、能力についての疑いが生まれてしまったようです。「大丈夫か、あの人」みたいな。それがパウロに対する不信感にまでなっていた。彼への評判も信頼も地に落ちてしまったらしいのですね。

 この「涙の手紙」すなわち、第2コリントの10章以降は、そういうパウとにとっては最悪の状況の中で、自分とコリント教会の間にできてしまった深い溝を埋めようとして、必死にコリントの人たちに呼びかけています。

 しかし、どうもあまりうまく行っていない感じがします。こう言ってはなんですが、ほとんど「恨み節」。その口調は非常に焦った様子で、時には非常に高圧的な言葉も飛び出ています。

▼パウロの弱さ

 今日お読みいただいた箇所、第2コリント10章の9節でも、パウロは「わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない」と言っていますが、これは「私は高圧的な態度に出ているわけでないんだぞ」と言っているわけで、こういう言葉が出ること自体、かなりパウロ自身は本心では高圧的な態度に出たいという気持ちを必死におさえていることがわかりますよね。

 そして10節、「わたしのことを『手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない』と言う者たちがいるからです」と書いていますが、これは、パウロに対する評判が落ちて、「あんた、こんな風に言われているよ」とパウロの耳に入れる人もいたんですね。だから、実際こんな事を言われていたんでしょう。

 これはパウロにはこたえたと思います。パウロには恐らく何らかの障害があったか、そうでなくても、病弱であったことは間違いないようです。

 この手紙のちょっと先の12章7節から9節に、これはよく知られている言葉ですが、「わたしの身に一つのとげがあたえられました。それは、思い上がらせないために、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました」とパウロは書いています。

 彼には何らかの肉体的な弱さがあったのです。それを「あいつは、手紙は力強いが、会ってみると弱々しいやつだ」と言われることに、どんなに傷ついたでしょうか。

▼やぶれかぶれ

 しかし、その悔しさを跳ね返すように、パウロは言います。11節でこんな風に書いています。「そのような者は心得ておくがよい」。

 怒っていますよね、パウロ。「そのような者は心得ておくがよい」。つまり、「覚えてろよ!」ということですよね。「俺を侮辱した奴は覚えてろよ!」

 そして言います。「離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません」。

 つまり、手紙だけでなく、実際にそこに言っても、自分は重々しく力強いんだからな!」と言っているのですね……。

 大人げないと思いませんか?

 パウロが怒るのはわかる。悔しいのもわかる。歯がゆいのもわかる。でも、あの使徒パウロともあろう人が「覚えてろよ!」と言う。こんな態度を取ったら、余計にコリントの人たちに揚げ足を取られて、「ほら、あんなにムキになっているのは、やっぱり自分に自信がないんだ」とからかわれるもとにならないでしょうか。

 こんなに無様な姿をさらしながら、パウロはやぶれかぶれになって手紙を書きなぐっているのですね。

 ちなみに、本来はこの時代は、先程冒頭にも申しましたように、手紙というものは自分で書かず、書記に書かせる「口述筆記」がスタンダードです。

 ところがこの「涙の手紙」の始まり、10章1節ではこんな風に言っています。「さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このパウロが」と。「このパウロが」という強調しているところから。おそらくこの手紙はパウロが自分で筆を取って書かずにはおれなかったのだろうと神学者たちは推測しています。

 もうそうだとしたら、それこそパウロは、かなり頭に血が上って、カンカンになっていたことが、より一層伺えます。

▼弱さこそ誇り

 しかし、この涙の手紙は、そのようなやぶれかぶれの恨み節では終わらないんですね。

 今日の聖書の箇所をもう少し読み進めて、1ページめくると、11章16節では、彼は「もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい」と開き直ったようなことを言います。

 しかし、その後、自分がどんな苦労をしてきたか、その半生を振り返ります。11章の23節以降を読んでみます。

 「気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったこともたびたびでした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」(2コリ11.23-29)

 こうしてパウロは、自分の苦労の多い人生を振り返り、そのような苦労の中で、「誰かが弱っていると自分も弱くならずにはおれないのだ」、「だれかがつまずいている時にこそ、自分は心が燃えるのだ」と。逆境にあるときこそ、燃える自分の心を自覚していっています。

 そして、その言葉に続いて、11章の30節、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」という宣言に至ります。

 「私は、この自分の弱さ、愚かさこそ誇ろうじゃないか」と。

▼弱さこそ力

 さきほども申しましたように、彼は自分の障害、あるいは病気を去らせてくださいと神さまに願いました。しかしその時、彼が神がこう言うのを感じたと言います。「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(2コリ12.9)。12章の9節です。

 そして、続いて彼は書いています。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いのです」と(2コリ12.9-10)。

 弱さ、愚かさこそ我が誇り。力は弱さの中でこそ発揮されるのだ。私は私の弱さを誇ろう。私は弱いときにこそ強い。弱さこそ私の力であり、弱さこそ私の強さなのだ……!

 愚か者の、やぶれかぶれの恨み節に始まった「涙の手紙」は、「弱さこそ私の力である」という告白に導かれます。手紙を書きながら、彼はこの告白まで導かれました。その過程が、この「涙の手紙」を読むとよくわかります。

 パウロは別の手紙、第1コリントですけれども、そちらの1章でも、「私たちが召された時のことを思い出してみなさい」と言っています。神は「世の無学な者、無力な者、無に等しい者、身分の卑しい者、見下げられている者を選ばれたのです」と言っています(1コリ1.26-28)。

 自分とは何と駄目な人間なのだろうか。何と愚かな人間だろうか。一体私は何ほどの者か、何と格好の悪い生き方をしているのかと嘆かずにはおれない人間こそが、神に選ばれるのです。それを神の逆説と言います。「なんでこんな私が?」と言う人が神に用いられて、神を宣べ伝えるのです。

 その道は平坦ではありません。楽でもありません。けれども、そんな生き方をせざるを得ないような愚かさの極致の中に、本当の賢さがあります。それが私たちを活かす力になります。そして、そこに救いがあるのです。

 祈りましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください