『牧師、閉鎖病棟に入る』沼田和也(実業之日本社、2021、¥1,430-)

「ありのままでよい」という無責任さへの問い。「まともな」社会が「まとも」でいられるための贖い。

沼田和也先生の出たばかりの新刊『牧師、閉鎖病棟に入る』を読んだ。それにしても新刊書というのはすごいもので、私が読了した今日は2021年6月2日だというのに、発行年月日は6月10日になっている。このような出版業界の慣行は私には未だによくわからない。不思議だ。

この本で印象に残ったのは「十字架」と「ありのままのわたし」と「相手にも言いぶんがある」の3つのセクションだった。

大声を出したり、暴れたりするために手足を拘束されて薬を打たれ、強制的に眠らされる患者がいる。そこに著者はイエスの十字架を見る。この人がそうやってそこで拘束されているから、世の中は「まともな」人たちだけで独占していられる。まともな世の中がまともでいられるために、そのまともさをその人が贖ってくれている。その記事を読んで、初めて「贖い」とは何かということが分かった気がする。

イエスもそうだ。彼が苦しんだのは彼以外の人が苦しまずに済むため。彼が苦しんだのは、世の中の病であり、世の中の歪みのためであった。そのために私たちは罰せられ、崩壊してもおかしくなかったのに、彼が代わりに全部背負ってくれたから、他の全ての人たちが今日も明日も「まともに」生活を続けていられるのだ。彼に私たちの代わりに苦しみを負わせ、最も惨めな目に遭わせることで、社会が守られる。維持される。罪はわたしたちにある。しかし、彼はそれを贖う。そして私たちは生きることを許される。

「ありのままのわたし」という課題についても考えさせられるものがあった。普段から我々牧師は「ありのままのあなたでいいんですよ」と簡単に言うところがある。あるいは私などは「ありのままのあなたでいいんだろうか」と問いかけたために、「ありのままの私を否定するな!」、「人の信仰をディスるな!」とキレられたことがある。それから私は、面倒を避けるために、機械的に「ありのままでいいんですよ」と言うようになった。

しかし、心のどこかで引っかかっていたのは確かだ。「自分が今ある状態で本当にいいのか」と疑問に思うことは必要なことのように思うがどうだろうか。現状のあなたや私を承認するということは大切なことだろう。決して人の存在を否定してはならない。しかし、「ありのままでいいんですよ」「あなたはそのままでいいんですよ」と言うことが本当に良いことなのだろうか。本当にあなたは、わたしは今のままでいいのだろうか。

「相手にも言いぶんがある」ということも、私の目を開いてくれるひと言だった。私も口を開けば、他人が悪い、周囲が悪いといったことばかり言っている。自分がこんな心の病を患ったのも、鬱で苦しんでいるのも、全部人のせいだと思っていた。そして、「あなたのせいではない」と慰めてくれる人も複数いる。しかし、本書の中の「(その時)相手はどう考えたか」ということに気持ちが回っていなかったのは事実だ。私が苦しみでのたうち回り、悪態をつきまくっている時、周りの人はどう思っているのだろうか。これも私の課題として残った。

何が救いで、何が絶望なのか、人生はよくわからない。絶望の中に救いがあり、救いの中に絶望がある。それらは表裏一体、渾然一体なのだ。

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