【大切なはずの命】

創世記1章27節a

同志社香里中学校・高等学校 春の宗教週間 早天祈祷礼拝奨励


▼トリアージ

 皆さん、おはようございます。

 今日の聖書の箇所には、「神は人を自分のかたちに創造された」、人間は神のかたちに作られたんだということが書かれてありました。これは人間が胴体と頭と手足があるから、神さまも同じような身体をしているんだろうという意味ではなくて、人の命は神さまのように聖なるもの、特別で大切なものということが言われています。

 いま、コロナ禍で「トリアージ」という言葉が時々報道などで話題になることがあるんですが、みなさんはこの「トリアージ」という言葉を知っていますか?

 この「トリアージ」という言葉は、時々「命の選別」という言葉と同じような意味で使われることがあります。

 医療崩壊。つまり、患者の数が多すぎて、病院のベッドの数が足りなくなるとか。集中治療室(いわゆるICU)が満杯になって、入れる人を制限しないといけなくなるとか。人工呼吸器が足りなくなるとか。そういった状況で、「誰の命は助けて、誰の命は助けない」という「命の選別」が行われるような状況に、地域によってはなってしまっています。

 そのような「助ける命」と「見捨てる命」を選ぶという、「命の選別」を「トリアージ」という言葉で表現する人が出てきて、それがニュースになったりしています。

▼命の重さは平等

 でも「トリアージ」というのは、もともとそういう意味ではありません。「トリアージ」の始まりは18世紀末のフランスで、「症状が重い人を優先的に治療して、症状の軽い人はあとに回す」という選別のことでした。

 そんなの当たり前のことだと皆んな思うかもしれませんが、それまでの戦争というのは、怪我をした人は、症状の重い、軽いに関係なく、身分の高い人は優先的に診て、身分の低い人は、どんなに症状が重くても後回しということが当たり前だったわけです。

 でも、それはおかしいじゃないかと問題提起する人がいて、身分の高い低いと関係なく、症状の重さで優先順位を決めようということを言い出したのが「トリアージ」の始まりです。

 だから、本来のトリアージは、「身分の差別をしない」、「症状の重さだけで治療の順番を判断する」、「人の命は皆平等」。それがポイントだったわけです。

▼トリアージの変節

 けれども、戦争が激しくなる時代の中で、だんだんとその「トリアージ」の本来の意味が崩れていってしまいました。

 たくさんの戦争が行われる中で、「症状が軽い人を優先的に治療し、症状の重い人は見捨てる」という考え方が登場してきました。

 それはなぜかわかりますか?

 それは、軽い症状の人を治療すると、早く回復するので、すぐにまた戦場に戻れるからすぐ戦える。そうすると戦争に勝ちやすくなるからです。

 症状の重い人は、治すのにも時間も労力も費用もかかる。何より戦争を続けるのに役に立たない。だから放っておこう。死ぬに任せようという考え方が出てきてしまったんですね。

▼役に立てるか立てないか

 けれども、私は考えるんでです。これは戦争という特殊な状況に限った話でしょうか。

 銃を打ち合うような戦争でなくても、皆さんがいずれは出て行く社会も、場所によっては経済戦争と呼ばれるようなところがたくさんあります。そして、そういうとことでは、例えば仕事がたくさん早くできる人、そのことによってたくさんお金を儲ける人は、社会の中で役に立つ人だという捉え方をされることが多いと思います。

 けれども、そこで、じゃあ「経済の発展の役に立つ。つまり社会で戦える人の命の方が重いんだ」ということは言えるでしょうか?

 皆さんの中にも「人の役に立つ人間になりたい」と思っている人はたくさんいると思います。けれども、「役に立つ人間にこそ価値がある」と思っているとしたら、それは裏返せば、「役に立たない人間は存在価値がない」と思っているということにはならないでしょう?

 もちろん、「役に立つ人間になりたい」というのは立派な目標です。ことです。役に立たないよりは、役に立ったほうが自分自身の満足度は高いでしょう。けれども、それとその人の存在価値や命の重さとは全く別の問題じゃないかな、と私は思っています。

 役に立つ人間は生きる価値がある。役に立たない人間は死んでも仕方がない。そういう「命の選別」をしなければならないということになっているとすれば、それは戦争と同じ状況だということです。

▼問い

 みなさんはどう考えますか?

 コロナ禍の状況というのは、そういうことを考えなくてはいけないという現実を、私たちに叩きつけているのではないでしょうか。

 そういう現実の中に生きているということ。自分だったらどうするかということ。それを少しでも皆さんに考えてもらればと思います。

 人は神さまのかたちに造られました。

▼参考文献

 美馬達哉「配分される死―パンデミックとトリアージ」『福音と世界 2021年6月号』新教出版社、pp.6-11

 天田城介「〈トリアージ〉の社会学―「命の選別」をしなくてもよい社会を構想する」『福音と世界 2021年6月号』新教出版社、pp.12-17

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