『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(上間陽子、太田出版、2017)

救いようのない少女たちを救うしたたかな優しさについて

沖縄の10代から20代の、キャバクラで働く女性たちにインタビューしたものが基礎になっている生活史。

貧困とDVにさらされ、予期せぬ妊娠や完全な孤立状態に立たされ、これでもかというほどに悲惨な状況に置かれる彼女たちの生き様が赤裸々に語られる。

彼女たちは例外なく男たちのDVを受けている。読み進むごとに自分が男であることが心苦しくなるくらい、男たちの暴力は執拗で無慈悲である。このDVという行為を、男はどうすることもできないのか。止めようがないのか。

女性の自死率は男性のそれよりはるかに高い。そのことはコロナ禍で一層ひどくなり、女性がいかに困窮に追い詰められているかが可視化されたと言えるだろう。

また世の中の犯罪発生数はどちらかといえば現象傾向にあるのに対して、DVの報告件数はうなぎのぼりである。DVに関して言えば、これまで潜在的に起こっていたものが顕になってきたということであり、それが日本の常態なのであろう。

加えて本書では内地よりも悲惨な状況に留め置かれている基地の島、沖縄の現実もそれとなく指摘している。内地で起こっている暴力的な状況が、沖縄ではより濃縮された形で顕在化しているのである。

この本に登場する女性たちは死なずに生きてきた。「死にたい」という言葉はこの本には出てこない。報告されているのは、残酷極まる若い時代を生き抜いてきた、あるいは生き抜いていこうとしている女性たちの生命の記録である。この背後には、実は何倍もの自ら命を絶った少女たちがいるのかもしれない。

しかし、救いようのない現実に直面したときに、「したたかな優しさ」を携えた人との出会いに彼女たちが救われたことも事実である。人を死の手前で救うのは、このようなしたたかな優しさ、強い優しさなのかもしれない。

私はこの本をクリスマス・イヴの夜に読み終えた。世間の浮かれた華やかさとは裏腹に、たった独りで妊娠したお腹を抱えた少女マリアのことを思わずにはおれなかった。周囲の人は、彼女が父親が誰かもわからない子どもを身ごもったとしか考えないだろう。そして、そんなマリアは自分で生活してゆく術もない。どうしようもない状況なのである。

しかし、奇跡的にヨセフという男が、自分の子でもない赤ん坊をはらんだこの少女をかばい、一緒に生きてゆく決断をし、出産に立ち会った。このしたたかな優しさがマリアを救った。これがクリスマスの奇跡だったといえるのではないだろうか。

そんな人を自暴自棄や死の一歩手前でつなぎとめる強い優しさと、実際に目の前の人を救ううスキルを、私たちは持ち合わせているだろうか。

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