シネマレビュー『ドライブ・マイ・カー』

全編が静かな静かなクライマックス

 静かな映画である。

 主人公の男が舞台俳優で演出家でもあるという設定であり、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』の場面や台詞を交えながら物語が進んでゆく。

 男は平穏で幸福な毎日を送っているように見えるが、物語が進むにつれて、彼が大きな何かを失っており、今もさらに失い続けていることがわかる。喪失の過程で、男は積み重なる大きな哀しみを抱えているが、何事もないかのように、そこから目を逸らして生きて行こうとしている。

 彼の運転手として雇われた女は、無口で無表情で謎めいているが、何度もドライブを重ねるごとに、彼女の素性や過去も少しずつ明らかになってゆく。そのひと言ひと言を聞き逃したくなくなるほど、彼女の言葉は不思議に引きつけるものがある。

 そして、彼女とやり取りするうち、全てに平静を装っていた男の心が次第に動き始める。何事もなかったかのように生きていたのに、自分の傷に向き合うことになってゆくのである。

 静かにゆっくりと物語は進み、いわゆる派手なクライマックスといったような場面は一切ない。しかし難解ではない。哀しみを抱えた幾つもの魂が交錯し、時の流れと共に変化してゆく過程から、目が離せない。ひとつひとつの台詞が練り上げられていて、意外性にも満ちており、完璧だ。

 そして、『ワーニャ伯父さん』の台詞が、チェーホフの作品本体よりも活かされているのではないかと思うほど効き目を発揮していた。

 作品の終盤で、筆者は涙をこぼしてしまった。主人公たちの抱えた傷が、互いに触れ合うことによって癒されてゆく優しさに、涙がこぼれてしまったのだ。

 加えて、この映画には幾つもの言語が並行して使われており、それが物語に独特に味わいをもたらしている。多言語の良さがよく現れた作品だと思う。そこにこの映画の新しさもある。

 派手な盛り上がりも見せ場もない映画であるが、逆に言うと、全編が静かな静かな見せ場に満ちているとも言える。一瞬も見逃したくなかったし、もう一度観たいと思う映画だった。