神の失敗作:暴力を喜ぶ心

2012年2月23日(木) 
 同志社香里中学校 ショート放送礼拝奨励

 説教時間:約6分 お聴きになりたい方は→audio

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聖書:ヘブライ人への手紙12章4節(新共同訳:新約p.417)



暴力を好む脳

 ぼくは、最近観たテレビ番組で恐ろしいことを知りました。ひょっとしたら皆さんも観ていた番組かも知れません。
 人間の脳の働きを知るために、脳の中の血の流れを検知できる装置を使います。そして、どんな感情の時に、脳のどこが活発に働いているかを調べることができるんですね。
 それで、まず実験台の人に、ある人(仮にAさんとしましょう)がもう一人の人(Bさん)を殴り倒す場面を見せます。すると、脳では「嫌なものを見た」「不快だ」という気持ちを司っている部分が反応します。
 ところが、次に同じ映像を見せるのですが、見せる前にたった一言、「このBさんはAさんにとてもひどい仕打ちをしたのです」と情報を与えます。そして同じ映像を見せると、今度は脳の中の全く違う部分、「気持ちがいい」と感じている時に活発に働くところが反応します。
 つまり、「この暴力は、悪い奴に対する罰なんだ」と、言葉ひとつ吹き込まれるだけで、人間は喜んで暴力を振るえる。暴力を振るった時に気持ちよく感じるような仕組みになっているというわけです。

神の失敗作

 ぼくは、「これは恐ろしいことだな」と思いました。
 人類が戦争をやめられないのも当たり前だと思いました。言葉ひとつで人間は殺人にでも快感を感じる事ができるんです。
 例えば、ある宗教が「あいつらは悪魔だ。あいつらを殺すのは天罰なのじゃー!」と吹き込んだら、敵を殺せば殺すほど正しいことをやっているので気持ちいい〜となるのです。
 あるいはある政治家が「あの国は世界の平和を乱す悪い国で、制裁を加えなければならないー!」とテレビで国民に呼びかけたら、そんな国は爆撃してしまえー。この爆撃は正しい制裁だから気持ちいい〜となる。
 わかりやすく言えばそういうことです。
 ですから、「愛だとか自由だとか正義だとか平和だとか言ってる宗教を信じてる人たちの国が、どうしてあんなに残酷な戦争ができるんだろうか?」とぼくもよく質問されることがあるんですが、人間の脳の仕組みから考えれば、簡単なことなんです。
 要は言葉です。「あいつらは、愛や自由や正義や平和を踏みにじる、悪い奴らなのだ」と一言吹き込まれたら、人間はどこまで残酷になれるんですね。
 もし神が地球のすべてを造ったというのなら、ぼくはひょっとしたら人間というのは神の失敗作なんじゃないかなと思うことがあります。

罪と戦う

 今日読んだ聖書の箇所、まだ開けていますか?
 こう書いてありますね。
「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」(ヘブライ12:4)
 人間の中には「自分が正しいと思ったら、暴力を振るうのが気持ちよくなる」という罪のスイッチが組み込まれています。
 暴力の無い世界、暴力の無い日本、暴力の無い学校、そして暴力の無い家庭を実現するために、我々は自分の脳の中、心の中にある罪と戦わなくてはいけません。
 「正しいことをするためには、暴力を使うことも仕方ないんだ」という考え方を振りかざす人がいたら、気をつけた方がよいと思います。「正しいこと」を求めるのは良いことですが、その為にどんな方法を使ってもよいというわけではありません。
 また、暴力を使っておきながら「自分は悪くない」と思う人も、「自分は間違っているのではないか」と自分を問い直す必要があります。もちろんそれは過去に罪を犯してきたことのあるぼく自身にも言えることであり、ぼく自身にもこのことは言い聞かせながらやっているのです。
 暴力を使わないで、何事もなしてゆけるような人間になるためには、自分自身の血を流すような努力が必要ですが、ぼくは皆さんにはそれができると信じています。平和な学校、平和な世界を造りましょう。
 祈ります。

祈り

 私たちの造り主なる神さま。
 どうしてあなたは、私たちをこんな危険な動物にお造りになったのでしょうか。
 私たちに、私たち自身の中にある暴力性と戦う、強い心を与えてください。平和な学校、平和な世界を作り出すことができますように。
 イエス・キリストの御名によって祈ります。
 アーメン。

 





 

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