地の塩、世の光

2012年4月24日(火) 
 同志社香里高等学校 放送ショート礼拝 奨励

 説教時間:約6分 お聴きになりたい方は→audio

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聖書:マタイによる福音書5章13~16節(新共同訳:新約p.6-7)



岩塩

 今日は「地の塩、世の光」という言葉で有名な聖書の箇所を読んでいただきました。この聖句は同志社香里では卒業式に毎年引用されている箇所です。同志社の卒業生は皆、「地の塩、世の光」のようにこの世で人の役に立つ人になってほしいという願いを込めて、この聖句を読みます。
 今、高校のみなさんがいる教室のある尚志館という建物は、もうこの夏からは取り壊しが始まりますが、その1階の階段の東と西の両方の壁に、この「地の塩、世の光」という言葉のラテン語のプレートがはめ込まれています。
 「地の塩」と文字通りに訳されている言葉は、日本語では何かと言いますと、これは「岩塩」のことです。岩塩というのは、塩が混じった岩石、あるいは今の中に大きな塩の固まりとして埋まっている場合もあります。日本では海の水から塩を取りますが、砂漠の地方では岩塩を砕いて使うのですね。
 塩というのは様々な使い方をします。たとえば、お料理の味付けに使うのは常識ですが、他にも殺菌効果や保存料としての働きもあります。たとえば野菜の漬け物や魚の塩漬けなどは、そういう使い方です。
 塩の浄めの効果は宗教的な領域にも及んでいて、最近はあまりそういうことはしなくなったようですが、ちょっと昔まではお葬式に参列した人には、まるでインスタントラーメンの七味の袋のような小さな小袋に入った塩が配られていました。その袋の塩を、自分の家に入る前にパッパッと自分に振りかけて、死者に近づいたために自分の身についた「穢れ」を浄めます。相撲取りが取り組みの前に土俵に塩を撒くのも、同じように宗教的と言いますか、儀式的な浄めの効果を想定しています。

蝋燭

 次に「世の光」ですが、この聖書の箇所ではロウソクのたとえが多くられていて、しかもロウソクをつけて升の下に置く人はいませんよと。ロウソクをつける時はロウソクを燭台に取り付けて、テーブルの上に置くでしょうと。そうすれば部屋全体が明るくなりますね、と言っています。
 ロウソクに火をつけても、何かの器をその上にかぶせて光を封じてしまうというのは、実際の状況ではあまり考えられませんが、要するに「せっかく光り輝いているのに、それを活かさずに封じ込めてしまう」ということで、自分の力を有効に活かさない人のことを譬えています。
 そうではなく、あなたの持っている光を見える場所で輝かせて、周囲の人がその光の恩恵を受けるようにしなさい、と言っているわけですが、ここでさっきの「地の塩」と意味が重なってきます。
 つまり、あなたの持っている能力は、「地の塩」のように、世の中で様々な形や方法で役に立てることができるはずですよ。またあなたの能力は、「世の光」のように、自分のためだけに使ってしまうのはもったいない。むしろオープンにしてあらゆる人に恩恵を与えるために用いなさい、ということです。
 そういう意味で、皆さんが「地の塩、世の光」として自分の力を誰かに役立ててもらうために、その力を養う所、それが同志社ではないかと思います。
 どうか皆さんが、この同志社という場で、「地の塩、世の光」となるべき力を見につけてくださるよう願ってやみません。
 祈ります。目を閉じましょう。

祈り

 天の神よ。今日ここに生かされてあることを感謝します。
 私たちがあなたに与えられた命を、大切に、自分のためだけではなく、自分のためにも、人のためにも善く用いることができますよう、どうか私たちの成長を導いてください。
 生徒も教職員も皆、善き「地の塩、世の光」となって、この世に仕えることができますように。
 イエス・キリストの名によって祈ります。
 アーメン。


 





 

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