『にせ愛国者のゲーム』 2001年

〔最終更新日:2002年11月16日〕
……順次、学習につれて更新するため、
常に最新情報や出来事の起源が、網羅されているわけではありません。
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 この学習ノートは、年表形式になっています。
 30番地教会牧師の学習に伴い、順次更新されますので、常に発展途上中です。
 学習の進捗によっては、抜けもありますので、何卒ご了承ください。

2000年以前の年表
2001年 1月  森善朗首相、施政方針演説で有事法制の立法化検討開始に研究。(朝日新聞2002年5月4日参照)
4月  小泉純一郎氏、自民党総裁選中、日本遺族会事務所などで「首相になっても(靖国に)参拝する」と明言。 日本遺族会は自民党の支持団体としては最強の部類に属する。この団体のおかげで10万票は取れるという、まさに「票田」。小泉氏はその後、夏の参院選でも「公式参拝」を日本遺族会に「公約」したのではないか、と推測する雑誌もある。
5月  小泉純一郎首相、衆議院で「公式参拝は憲法に違反しない。8月15日は真心を込めて参拝する」と明言。(朝日新聞2001年6月25日参照)
6月中旬  三重県桑名市の私立津田学園中学校で、「新しい歴史教科書をつくる会」の扶桑社版歴史・公民教科書の採用を、全国に先駆けて決定。「私たちの教育哲学は文武両道。武士道の精神です」とは津田勉理事長談。(朝日新聞2001年7月2日参照) 天皇制にしろ、国家神道にしろ、明治維新にして改めて国家主義によって捏造されたものが多い。しかし、この理事長は明治的国家主義と江戸時代までの武士道とは違うということさえもわからないらしい。
7月  戦後補償裁判「劉連仁訴訟」(東京地裁)、原告側勝訴。(朝日新聞2002年4月27日参照)
 広島の原爆死没者追悼平和記念館の展示説明文に、「国策を誤り、戦争への道を歩んだ」と表記するとの厚生労働省案に、開設準備委員会から異論。被爆者団体側は「『国策を誤り』の表現は不可欠」との要望書を厚労相あてに提出。(朝日新聞2002年7月31日参照)
8月  戦後補償裁判「浮島丸事件訴訟」(京都地裁)、原告側勝訴。(朝日新聞2002年4月27日参照)
 沖縄の米空軍嘉手納基地で、約40万発の劣化ウラン弾が保管されていたことが発覚。湾岸戦争(1991年)で使用した量の約半分に相当する。(毎日新聞2006年8月2日参照)被爆国であるにもかかわらず核兵器が保管されていたのは論議の的となりそうである。
 7日、東京都教育委員会が、都立の病弱養護学校に、扶桑社版歴史・公民教科書を採択。(朝日新聞2001年8月8日参照)
 8日、愛媛県教育委員会が、県立養護、ろう学校の一部で扶桑社版歴史教科書を採択。(朝日新聞2001年8月9日参照) 「なぜ、養護学校などから採択させていくのか? 東京都の都知事が障害者差別発言(あれでも人間かね)をしたことは有名。予算確保などで立場が弱い養護学校などからまるめこんでいるという説もあり」
 13日、小泉首相、日程をずらせて参拝。中国・韓国からは否定的見解。
 15日、教科書採択終了。扶桑社版歴史・公民教科書は、上記2県の養護学校・ろう学校以外では、全国の国公立中学校では、採択されず。私立では8校のみ採択となった。(朝日新聞2001年8月16日参照)
9月  11日、アメリカ合州国、ニューヨークの世界貿易センタービルのツイン・タワーに2機のジェット旅客機が激突。他にもペンタゴンに1機突入。ピッツバーグ郊外に1機墜落。いずれも乗客巻き添えの自爆テロ。いわゆる「同時多発テロ」。
 これに対し小泉首相、「全面的にアメリカを支持する。全世界が一致して断固たる対応を」と記者団にコメント。 「アメリカを支持して全世界は一致できない。いわゆる西側陣営を「全世界」と安易に表現してしまう首相の感覚に問題がある。「全世界」の中には、反アメリカ、反グローバリズムの流れも営々としてある。その陣営がテロを起こした可能性が高いという情勢認識が彼にはない。
 18日、在日米海軍司令部より海上保安庁と防衛庁に、米第7艦隊空母キティホーク出航に際し、横須賀基地から三浦半島沖まで浦賀水道航路を警備(護衛)してほしい、との要請が入る。
 19日夜、小泉首相は「同時多発テロ」に向けた7項目の対応策を発表。自衛隊をインド洋などの米軍基地に医療・輸送・補給で協力するために派遣するための措置を講じることが盛り込まれる。与党3党はこれを受け、今回のテロに限定した新法制定と、自衛隊法改訂案づくりに入る。(朝日新聞2001年9月20日参照) 「18日の米軍からの要請があって、それから小泉首相は19日夜に米軍の支援を発表。自衛隊にとっては作戦行動中の米艦護衛は史上初であるため、これを可能にするための発表でもあろう。輸送の内容は、表向き燃料と食糧であるが、武器・兵器も輸送可能と政府は解釈しているとのラジオ報道もあった。なしくずしで自衛隊の海外派兵を実現しようとしているように見える。いつものやり方である」
 21日、横須賀基地を出航するキティホークを護衛して、海上自衛隊の艦船が出港。作戦行動中の自衛隊の米軍との同時行動は初めて。後、キティホークは28日に帰港。
10月  7日、米英軍、アフガニスタン空爆開始。アフガン潜伏中と見られるオサマ・ビンラディン氏とそれをかくまうタリバーン政権への攻撃。 ただしこの時点では、ビンラディン氏が同時多発テロの犯人である証拠は「ある、ある」と言われながら公開されていない。
 与党はいわゆる「テロ対策特別措置法」(新法)設置と、「自衛隊法」の一部改定を目指す。 この通称「テロ対策新法」は、自衛隊による武器や弾薬の輸送も想定。これは戦争協力に他ならず憲法第9条に抵触するが、首相は前文にある「国際社会での名誉ある地位」を主張。しかし、戦争協力が名誉? 
 また、「自衛隊法」の改定には、防衛機密の漏洩についての罰則規定が強化され、報道関係者も処罰の対象となっている。
 8日、小泉首相、中国の江沢民国家主席と会談。盧溝橋事件現場を訪れ、過去の中国への侵略を謝罪するが、自身の8月13日の靖国参拝については説明せず。またアメリカのテロ報復の軍事行動への協調について、「武力行使はしない」と約束。中国側は否定はしないが、日本の軍事行動への参加には危惧を表明。(朝日新聞2001年10月9日参照)ただし、この裏には、中国側から「おわびがあれば靖国については追求しない」という根回しがあったとの話もある(朝日新聞2001年10月10日参照)。
 翌9日、日本に帰国し、午前中の衆院予算委で「派遣してはいけないとかいう話は出なかった。中国の理解は得られた」と述べる。(京都新聞2001年10月9日夕刊参照) この予算委員会で、小泉首相は大橋巨泉議員の『特攻隊に特別な心情を持つ総理は突入したアラブ青年たちの心理をどう考えるか』という質問に対し、『理解を超える。特攻隊員たちは戦争のために軍用機で行なった。テロの実行犯は信じられない』と返答。
 29日、「テロ対策特別措置法」が参院本会議で可決、成立。同時に、「自衛隊法」の一部改定も成立した。(朝日新聞2001年10月30日参照) この「テロ特措法」は、武器・弾薬の輸送の禁止、戦闘行為が行なわれていない地域での活動に限る、などの条件がついている。しかし、何が戦闘行為であるかについては、例えば衆院での質疑でも、中谷防衛庁長官が「手動でコントロールされる場合の巡航ミサイルは発射された時点では標的が定まっていないので、そのミサイルを発射した艦船は戦闘地域ではない」というような、わけのわからない答弁がなされた末に決まった法律である。
 また、中谷防衛庁長官は、防衛秘密を漏らした業者の処罰強化にまつわる自衛隊法の改定については、「新聞記者などの通常業務では対象にならない場合も」などと、あいまいにゴマカすような答弁を続けている。
11月  15日、海上自衛隊から石川島播磨重工業に、インド洋周辺派遣の自衛隊艦艇や航空機の修理要員として、民間人技術者の派遣を要請。ほか十数社の防衛産業にも同じく11月中旬、同様の要望が出され、月末には横須賀で業者を集め、説明会を行う。防衛庁は「まだ正式の要請ではない」、石播側は「担当部署限りでの非公式なもの」と。(2002年5月3日発覚。朝日新聞2002年5月4日参照) テロ特措法には民間人の派遣については触れられていないので、「違法ではない」という奇妙な背景事情。法に規定がないということは、当然、現地での身分や戦闘に巻き込まれた場合の想定もない。実際に派遣されれば、戦後初めて民間人を危険地域に送る事例となる。
 25日、ペルシャ湾内バーレーン基地で、海上幕僚監部の派遣チームが米中央軍第5艦隊司令部ムーア司令官(当時)に会い、インド洋での作戦で海上自衛艦が米海軍の「戦術指揮統制」下に入ることを容認。「ただし政治的には公言できないので、微妙な配慮が必要」ともしていた。(2002年6月15日発覚。朝日新聞2002年6月16日参照) 自衛隊を他国の指揮統制にゆだねることは、憲法で禁じられている集団的自衛権の行使に当たる。また、政府はテロ特措法国会審議でも「他国から指揮命令を受けない」と答弁しているため、矛盾している。この国では文民統制が崩壊しかけている。
2002年の年表 


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